まん延防止等重点措置の延長(6月1日~6月20日)に伴う各協力金及び支援金の実施について リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 6月 02, 2021 6月1日から20日まで延長になった第3期、三重のまん延防止等重点措置ですが、基本的にこれまでと内容は変わっておりません。一点結婚式場が休業協力金の対象に加わっています。受付開始は期間終了後になりますが、これまで第1期、第2期と受給してきた方々には、提出資料の簡素化もされるようです。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
夢の津駅再編 2階デッキ 12月 11, 2025 4年前のブログ記事 津駅の再編に関して県議会で質問してから、もう4年になるんですね。 当時の鈴木英敬知事が県土整備部長を国土交通省から1年任期で連れてきてくれました。 イメージ図(津市のページより借用) 駅の再編通称「バスタ」プロジェクトの専門家でした。 やっと津駅が変わる!と当時興奮したのを覚えています。 その際に提案したのは 歩行者が回遊できる2階デッキの設置 これは津波発生時の避難場所としての機能も踏まえて、県土整備部長から即快諾を頂きました。 もう一つどうしても実現したかったのは人の流れの東西の分断の是正。 出来れば駅ビルを2階デッキ部分で貫通させて、改札に入らずに移動できるようにして欲しいと提案しました。 令和7年度 第2回 津駅周辺道路空間再編検討委員会 最新の資料を見る限り2階デッキに関しては、現在も生きているようです。 同じタイミングで再編が提案された四日市はもう既に工事が始まり歩行者回遊デッキは完成しているようです。 津はまだ工事が始まってもおらず進捗が心配ですが、復帰後もしっかり関わっていきたいと考えています。 続きを読む
天壌無窮の皇運を扶翼すべし 3月 14, 2017 FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その... 続きを読む
反省と夜間中学の意義 11月 08, 2025 反省することがあります。 実は夜間中学設置の教義が議論されていた際、私はどちらかというと反対意見を持っていました。 運営費はどうやって捻出するのか とか どれだけ需要があるのか とか また設置に向けての雰囲気作りだろう思われる似たような美談が、当時テレビや様々な媒体で名を変え場所を変え語られており、 何かしらの意図的な雰囲気を感じていました。 ところが設置された後、私の意思とは全く別のところで、私の妻が夜間中学に通いたいと言い出し正直面食らいました。 本国では大学まで卒業してるのに入学許可が下りるの? とか 日本語なら他にも学ぶ方法があるんじゃ無い? とか 伝えたのですが、夫婦は似るのか元からか、妻も一度決めたことはなかなか曲げない性格で、結局通学することになりました。 通い始めてから2年ほどたちます。その間学校の雰囲気や他の生徒さんの話を聞くにつれ実情を知る事になり、当初の考えを改める必要があるなという認識に至っています。 子供達が抱えるストレス、 不登校、 あるいは虐めといった各種の問題に対する 継続したケアや、学問以外も含めた学びの場として、はたまた家庭環境も見据えた支援の窓口として 夜間中学の存在が一つの役割を担っているという事に気付いたのです。 例えば先日アップした子どもの死因究明でも提案されている、家庭と学校の連携の場として期待できると思っています。 様々なケースが増える中、教育を受ける機会も画一的である必要は無い。 違った環境で学び直す事による新たな成長も期待できる。 何らかの形で一度挫折していたとしても、 再チャレンジする環境を提供する事の意義。 そこに希望を見出す当事者がいる限り、希望を紡いでいく支援は重要な役割だと思うに至りました。 続きを読む
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