政府に集団的自衛権行使のための立法措置を行わない事と臨時国会での集中審議 を求める請願


第3回定例会が先日終わりました。
最終日には提出議案の他に幾つか請願書が出されており、その表決も取りました。

今定例会には「九条の会・津」によって作成され
共産党の長谷川および豊田両議員が紹介議員として提出された「政府に集団的自衛権行使のための立法措置を行わない事と臨時国会での集中審議を求める請願」に対する表決も行われ、私は反対の意を表する討論を行いましたのでその内容をお伝えいたします。

討論時間10分を大きく超える内容になってしまい、結果最後まで論じきることが出来なかったのは私の未熟さ故です。

そこでブログでは論点の整理を明確にし、議場で伝えられなかった部分も含めて反対理由を示しておきたいと思います。

前提:自民党および公明党の代表が集まり行われた閣議決定の内容は、我が国が現在直面している状況に適切に対処できる様な法整備を行う為の与党内合意で有り、その目的はこの国の平和を、そして子供達の未来を守るためだと認識している。

この前提を踏まえた上で、「日本が戦争をする国になるのか」という良く聞かれる主張に対しては後段で触れることにする。こちらが気になる方は論点1は読みとばして頂きたい。

論点1:審議が不十分であるという主張
同請願の表題にも「集中審議を求める」と書かれており、また文中にも「国会の議論も、国民的議論も全く不十分」と書かれている通り請願提出者は審議が不十分だと主張をしている。

反論:閣議決定とはそもそもどのようなものであるのか
閣議決定とはあくまでも法案を作成、提出する準備として大臣間において、また連立政権である現在自民党及び公明党の間の意識の共有を図るための決定事項であり、閣議とは与党内の合意形成の場である事。

即ち閣議決定自体は立法行為ではない、いうならば法案が可決されこれが執行されていない現在、法治国家である日本において、自衛隊の行動範囲も武力行使に係わる何物も実質変わっていない。

そして閣議決定の文末には「政府として、以上述べた基本方針の下、(中略)法案の作成作業を開始することとし、十分な検討を行い、準備ができ次第、国会に提出し、国会における御審議を頂くこととする。」と記されている。

正に現時点では事前協議がなされた段階で有り、本格的な審議はこれから行われるという事である。
審議が始まってもいない段階で審議が不十分であるというのは全く理にかなっていない主張である。

また、文中に「閣議決定を強行した」と書かれているが、閣議決定とは基本的に全会一致で採択されるべきものである。
何故か、この後法案が作成され議場で審議を行う段になって、首相や防衛大臣や財務大臣など異なる大臣に質問をしたら違った見解がかってくると言うような状態では審議にならないからだ。「政府内の意見もまとまっていないのに法案を提出してくるのか!」と言われる事になる。
全会一致で採択された決定事項に「強行」という事態は存在しない。

それでは19人という少数の大臣だけで重要な内容を決めてしまって良いのか、民意を反映していない。という2つの主張に対して:
まず閣議決定の性質は既出の通り法案を作成するための準備会議であり、あくまでも法案提出側になる大臣同士の合意形成の場であるため法案を提出する側にいない野党がこの会議に加わる事はない。
そして、大臣も議会制民主主義の制度に則って選挙を経て民意を代表する代議士として選出された議員である以上、それぞれが民意の集合体である。彼らが民意を表していないという主張は代議員制度を否定する考えである。

与党によって代表されていない民意を戦わせる議論の場は、繰り返すが、法案提出後国会の場でという事になる。

最後にこの請願の表題にもあるが「立法措置を行わない事」という要求は、言い換えるなら議案を議論する場を作るなと言っているに等しく、審議をしろという要求を相反しており矛盾をはらんだ要求である。

立法府である国会に立法行為を行うなと言う事は国会そのものの存在理由を否定する要求で有り、政府の立法行為を制限する権能を持った存在は現在のこの国のシステムの中に存在しない。端的に言えばこの請願の要求するところは無茶苦茶な論理だと言わざるを得ない。
確かに請願提出者の意見は民意の一つではあるが総意ではない。言わずもがな私も含めて一定数の日本国民の民意とは異なる見解である。100%とは言わないものの今回行われた閣議決定に関しては私の民意は反映されている。

その事を否定するのであれば次回選挙において意思を表明すれば良い。我々が国会議員に対して行使することの出来る法的に許された最大の権限は投票行為だからだ。

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論点2に進む前に閣議決定の全文のリンクを張っておく。
平成26年7月1日 国家安全保障会議決定

論点2:「閣議決定の内容は際限なく武力行使が拡大できるものとなってる」
これは明らかなウソだ。請願を作るにあたっては少なくとも閣議決定に目を通すべきだ。仮に目を通していたとしてもなおこのような主張を行う可能性は2つ、読解能力の欠如が原因か、大多数が原文を読んでいないだろうと考え意図的に誤った印象を植え付けようとしているか、のいずれかである。

閣議決定の中の”2 国際社会の平和と安定への一層の貢献”よりそのまま引用する:

(ア)我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない

(イ)仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する

戦闘行為が行われている現場において支援活動は行わないという見解は、今回の閣議決定以前から何も変わっていない。

これ以上明らかな内容はないので次に進む。

もう一点、閣議決定の中の”憲法第9条の下で許容される自衛の措置”の中の(3)の中段に

「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」と書かれた条件のもと自衛の措置をとる事ができる。
すなわちこの閣議決定の核になる集団的自衛権にまつわる記述である。

ここにある「我が国と密接な関係にある他国」がアメリカなのか、あるいは他の国なのか示せ!という主張にたいして首相は特定はしないと答えた。
それによって「我が国と密接な関係にある他国」は如何様にでも解釈が出来、結果中東やアフリカで起こった武力衝突に対して日本が「集団的自衛権の行使だ!」といって海外で戦争をするんだ!と解釈したいのだろう。

しかしこれも先の一文と同様に、読解力が欠如しているのか意図的に印象操作をしようとしているのか、いずれにせよ読めば明白な内容だ。

本文をそのまま引用する:
「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。」

先の密接な関係にある他国に対する攻撃が発生した場合の後に更に条件が続く。

そこには
「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において」

と書かれている。

即ち仮に密接な関係のある他国がどの国で、どのような状況で武力攻撃をうけていようが、以下の状況
  1. 我が国日本がその存在を脅かされるような状態に陥り
  2. 国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される
  3. 明白な危険がある場合
がなければ武力行使はしないと書いてある。
あくまでも「自衛」の範囲を超えない行為である。

しかも丁寧に次の(4)には「集団的自衛権」という考え方は国際法上許されている権利でありこの場合は「密接な関係にある他国」が攻撃されただけで発生すると権利と解釈されているがあくまでも我が国の場合は憲法上の「我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるもの」として更に厳密に限定している。

よって以上の2点より「際限なく武力行使が拡大できる」という請願書の主張は全く根拠のない見解であり到底賛同できるものではない。

以上

  • 審議が不十分であるという主張
  • 海外で戦争をする国になるという主張

いずれも根拠に乏しい主張であるため反対の意を表した。
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さて自衛権とはどのようなものなのか。

これも親切に閣議決定の中に明記してある。

憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」
および
憲法第 13 条が記す「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」

以上2点を守る行為が自衛権でありその行使は合憲である事は当然だが、加えてこれを放棄すると言う事は言い換えるなら
国民の平和的生存権を放棄することであり、生命、自由および幸福追求に対する権利を放棄することである。

国は国民の命を守らない、と言っていることに他ならない。


面白いことに
日本共産党の書記長だった野坂参三代議士は第90回帝国議会において以下のような発言を
残している。
「要するに当憲法第二章(第九条)は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それ故に我が党は、民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない。」
引用元

紹介議員になっている共産党市議団のお二方にはこの発言に対する見解を伺いたいところである。

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はたして日本は本当に平和な国なのだろうか。今まで日本は自国の領土と自国の国民を守れてきたのだろうか。そして今、日本はどのような状況におかれているのか。

例1. 竹島
1945年にポツダム宣言を受諾し日本は敗戦を迎えた。
1946年GHQの監視下において作成された素案を元に日本国憲法が採択され翌年施行される。

それからたった6年後の
1952年、李承晩は一方的に李承晩ラインなるものを宣言
その後日韓基本条約が締結され李承晩ラインが廃止される
1965年までの間の13年間に、

328隻の船が拿捕され、
3929人が抑留され、
44人が殺傷された。

この中には幼い子供を持つ若い父親も居たという。

これらの人質は日韓基本条約を韓国にとって有利な内容で締結するためのカードとして使われた。

日本の自衛隊が組織されたのは
1954年である。

そして竹島は今も不法占拠されたままだ。

自分の国の領土を守る為の組織が存在しない国はいとも簡単に国土を奪われることになる。
これが「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」結果だ。

例2. 拉致
横田めぐみさんを含めた拉致被害者は北朝鮮の国家組織である武力集団によって組織的に自由を奪われ拉致された。

実に14歳の平凡な女の子が複数の訓練を受けた兵士によって攻撃をされ船底に投げ込まれ、自由を奪われ未来を奪われ家族を奪われ人生を破壊されたのである。

母親の名を呼びながら船底の木の扉をひっかき続け、北に到着したときその手の爪は全てはがれていたと言いう。
その他1000人近くにのぼるだろうとされている拉致の被害者を守れなかったのも
拉致の実行犯が「国家又は国家に準ずる組織」であったが故に憲法第9条が禁ずる「武力の行使」に該当するおそれがあることからだ。

国家ないしは国に準ずる組織を攻撃すると言う事は即ち戦争行為とみなされる可能性があるというのである。

いたいけな少女を含めたごくごく平凡な生活を送っていた日本の国民を守ること事すら出来ないのである。

そして特定失踪者と呼ばれる人達のリストは一番新しい例を含めると平成22年、ほんの数年前まで存在する。
決して過去の出来事ことではない。

私の娘が横田さんのように拉致され突然目の前から姿を消したとしたら、と考えるとその心中はいかばかりかと、身につまされる思いでいっぱいになる。

例3. 緊急発進と制空権
平成25年度の自衛隊機緊急発進は810回を数える。
平成23年以降2年間で倍増している。

自衛隊機の緊急発進、いわゆるスクランブルと呼ばれるものは日本の領空に接近してきた他国の航空機を追い払う作業である。

仮に自衛隊機のスクランブルがなければ、他国の航空機が領空はもちろん領土上空を飛行することになる。

制空権を奪われたから東京の空襲が可能になったのである。
制空権を奪われたから原爆の投下が可能になったのである。
制空権を奪われたから津市も焦土と化したのである。

制空権を奪われることは即ち地上に住む我々にとって死を意味する。

そのような状況を阻止するために硫黄島で我々の2万人を超える先人が戦った。
彼らは制空権を奪われることが何を意味するか知っていたからこそ、愛する者を守る為に自らを犠牲にして最後まで抵抗した。

彼らの犠牲があったからこそ我々は今日本人としてこの地で住むことが出来る。

そして今もなお一日に2回も自衛隊機が発進して他国の航空機を排除し続けてくれている。
そのおかげで我々は旨い物を食い、娯楽番組を見、酒を飲み、暮らしていける。

それほど重要な任務を担って頂いているにもかかわらず、ロックオンされても反撃を許されていないのが日本の自衛隊だ。

ロックオンとは言うなれば、撃鉄を上げた拳銃を顔の前に突きつけられた状態に等しい。いつ打たれてもおかしくない状況にありながらもじっと我慢して耐えるしかない。
自分の仲間か自分自身が殺されない限り反撃を許されない。そんな状況がどれだけ彼らの精神をむしばむのだろう。

我々を守ってくれている自衛隊員が彼ら自身の身を守る事を可能にする法整備を一刻も早く行う事こそ、身を挺して重要な任務に就いている自衛隊の方々に我々が出来る事ではないのか。

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平和ぼけという言葉は聞いて久しいが、我々を取り巻く環境は決して平和ではない。それは先に述べた3例で明らかにしたつもりだ。

だからこそ万が一のことを考えて準備を整えておく必要がある。

誰も地震や津波が起こることを望んでは居ない。しかし堤防を作り避難訓練を繰り返す。

誰も火事で家を焼け出されたいと思ってなどいない。しかし保険をかけ火災報知器をつけ町には消防署が設置され万が一に備えるのである。

誰一人として戦争を望んでいる人など居ない。
自分の子供を戦場に送りたいと考える親は居ない。

しかし自分の愛する妻、そして子供を守る為に戦わなければならない状況に置かれたとするならば私は愛する者を守る為に望まない銃を取らねばならないだろう。
にもかかわらず相手が他国の戦闘組織だとしたら、戦争行為になるので攻撃してはいけない。自分の愛する家族を守ることが許されない。
こんなふざけた話は到底受け入れることは出来ない。

同様に先の大戦で犠牲になった先人は彼らの愛する家族を守る為に戦った。
我々が今日本人として生きていられるのも彼らの犠牲があったからこそだ。

今こうしている間も我々を守る為に前線に立っている人達がいる。
そのおかげで私はこんなところでブログを更新することが出来、稚拙な議論を展開することが出来る。

我々は様々な専門職に就いたプロに支えられ今この場を生きている。いかされていると思う。であるならばお互いに感謝し合い、またそれぞれが自分のすべきことを行うべきだ。そして崇高な任務を担う人達には尊敬する。それが国の在り方ではないだろうか。同じ国に生きるという事ではないのか。

特にインターネットを媒介として他者への非難や攻撃が蔓延する現代、我々は共に支え合って同じ国に生きている同胞だという感覚を思い出す必要があるように思う。

我々が国内でお互いを傷つけ合っても誰かが漁夫の利を与えるだけだ。

「我々の未来の子供達のために」という共通目標を抱くことで共に未来を築くことができるのではないかと思っている。

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