毎年恒例のワイワイがやがやフェスタ リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 2月 13, 2013 今年もやって参りました。 ってこの週末の17日なのよ。 おいらも昨日手紙もらって初めて知って、ってかいつもだいたいこの時期なんだけど、すっかり忘れてて。 で昨日手紙もらって、え、マジで?ってな感じで。 でもさ、午後1時からって予定丸かぶりなんだよね〜 リージョンプラザだからそれほど遠くない場所に居るのは居るんだけど。 悩ましい・・・・・ ま、お時間有る方は是非。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
天壌無窮の皇運を扶翼すべし 3月 14, 2017 FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その 続きを読む
ステラちゃん日本人になった!夫婦別姓?! 3月 25, 2021 やっと「小林」になれた 私の妻Casian Stelaの帰化手続きがやっと終了し、小林ステラになった。 18年前に日本で婚姻届を提出し、 翌年モルドバでの諸手続を終え配偶者ビザで来日、(さらっと書いたけどここも実は結構大変だった。それはまた別の機会に。) 9年前に永住権を取得、 その後一度帰化手続きを始めるも、当時大使館もなかったことから、さまざまな必要書類をモルドバに行って取得してくるのか、家内の親族にたのんで手配するしか手段がなく途中で断念。 3年前私の最後の市議選当選後、大使館が相互に出来たことを切っ掛けに手続きを新たにはじめ、 先日やっと帰化手続きを終えた。 Casian Stelaは晴れて日本人になり、私の戸籍に入り、小林の姓を名乗る事が出来るようになった。 妻は 「やっと私や子供達と同じ姓を名乗れるようになった。」 「私はやっと皆と同じになれた。」 「今日から新しく生まれ変わった。空気が違う!」 と喜んでいる。 モルドバの国籍を失うことに対して何らかの寂しさを感じるのかと思っていた私は、心底喜び明るさしか感じられない妻を見て、彼女らしいなと微笑んでいる。 夫婦別姓に関して 上の子はこの春高校生になる。そして中二になる娘、小4になる息子が居る。いずれも母と私が今まで姓が異なる事、母が小林ではないことに別段違和感があるわけでも無く、不安があったわけでも無く、友達に説明を迫られていやな思いをしたこともない。 「外国人のお母さんだから」という誰が見ても明らかな理由があるからだとも思う。 しかしステラは小林を名乗ることを強く望んだ。 理由は、家族は一つだから。家族を分けるものがあるのはイヤだから。 姓が異なる事だけが理由で、夫婦の関係が不安定になり、子供達が将来を不安に感じる事はないと思う。根本的に妻と夫が普段どんな関係を築いており、仲睦まじく居るか居ないかが一番重要な要素だという事は明白だ。 姓が同じでも常にケンカが絶えず、罵り合うことしかなく、険悪な雰囲気が漂っていれば子供は不安を感じるだろう。 姓が異なっても、夫婦が愛し合っており、子供も家庭の環境も和やかであれば子供は安心するだろう。 だから別姓を名乗ること自体が夫婦の不和の原因になり、子供が不安を感じるようになるとは思わない。 問題は、「ナゼ?」というところだ。 後述するが、私の妻が現在直面している問題 続きを読む
やっと分かった!!!鹿肉が出回らない最大の理由 9月 09, 2011 最近「なんでそんなことすぐに出来ないの」と思われることにはそれなりに理由があることが良く解った。 ただそいつは「やっかいな障害が存在する」という事の認識であってそれすなわち実現不可能だというわけではなく、あきらめにゃならんと言うことと同義ではない事は留意いただきたい。 で、鹿肉。 鹿肉が牛や豚のように加工されて販売されることを一番嫌っている所がある。それは「保健所」要するに衛生問題だ。野生の生物名わけで何らかの雑菌をもって歩いているという前提。ま、飼育されてる家畜も泥まみれだったり閉鎖された施設に飼われてるわけで雑菌がないわけじゃないんだけど、家畜は管理されてる。仮に病気になったときには検査されてはじかれる。良い悪いは別にしてインフルエンザにかかった鳥や豚は殺処分されるわけだし狂牛病もしかりだ。野生生物に関してはこれが出来ない、と言うこと。 で、野生の獣の販売は料理をする人間に免許がいる。ちょうどフグと同じように。だからボタン鍋専門店とかは店主がその免許を持っててそれを自分でばらして冷凍保存なりしてそれを製品として出すわけ。それ以外の場合は殺したあと24時間以内に販売しなきゃならない。 つまり猟師が殺して、料理店が裁いてそれを食わす。という流通経路しか想定してなくってそれ以外はアウト「想定外」ってか「規格外」と言うことになる。 だから同じように調理許可を持っていている人間が加工してもハムやミンチにしてそれを店頭で販売すると言うことに「No」を突きつけられる。24時間越えてるから。 魚だって野生生物じゃないか!と言いたくなるんだけど、そう言う質問に保健所は、「魚食は日本の伝統文化で身体がそれになれているからOK」という訳の分かったような言い訳臭い理由が付いてくるんだとか。 ようは野生動物は家畜と同じようには流通させたくないという「意志」が最初にあってのことのよう。 つまりこれを解決する方法は規制緩和以外にない。最大の障害は販路でも価格でもなかったわけだ。 実際食肉加工所には獣医がいて鳥を加工する際には病気になってるような奴をはじくんだそうです。 だから仮に鹿肉を加工するにしても猟師が持ってきた鹿を見て販売できる個体かどうかを判別しなきゃならない。獣医付けて。 その上で野生生物を扱うに当たって、やっぱり牛や豚を扱うのとは違う処理を 続きを読む
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