反省と夜間中学の意義
反省することがあります。
実は夜間中学設置の教義が議論されていた際、私はどちらかというと反対意見を持っていました。
運営費はどうやって捻出するのか
とか
どれだけ需要があるのか
とか
また設置に向けての雰囲気作りだろう思われる似たような美談が、当時テレビや様々な媒体で名を変え場所を変え語られており、
何かしらの意図的な雰囲気を感じていました。
ところが設置された後、私の意思とは全く別のところで、私の妻が夜間中学に通いたいと言い出し正直面食らいました。
本国では大学まで卒業してるのに入学許可が下りるの?
とか
日本語なら他にも学ぶ方法があるんじゃ無い?
とか
伝えたのですが、夫婦は似るのか元からか、妻も一度決めたことはなかなか曲げない性格で、結局通学することになりました。
通い始めてから2年ほどたちます。その間学校の雰囲気や他の生徒さんの話を聞くにつれ実情を知る事になり、当初の考えを改める必要があるなという認識に至っています。
子供達が抱えるストレス、
不登校、
あるいは虐めといった各種の問題に対する
継続したケアや、学問以外も含めた学びの場として、はたまた家庭環境も見据えた支援の窓口として
夜間中学の存在が一つの役割を担っているという事に気付いたのです。
例えば先日アップした子どもの死因究明でも提案されている、家庭と学校の連携の場として期待できると思っています。
様々なケースが増える中、教育を受ける機会も画一的である必要は無い。
違った環境で学び直す事による新たな成長も期待できる。
何らかの形で一度挫折していたとしても、
再チャレンジする環境を提供する事の意義。
そこに希望を見出す当事者がいる限り、希望を紡いでいく支援は重要な役割だと思うに至りました。

夜間中学が開設される事を知り、出来れば高齢の老人も学び直したいと思いました。
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