拉致被害者全員帰国・完全解決:全国一斉街頭活動
令和3年 6月12日、全国各地で自民党青年局による一斉街頭活動が行われた。
我々三重県連も、青年局、青年部に加え、学生部も参加し松阪、津において拉致被害者の全員帰国、完全解決に理解を求める訴えを行った。
拉致問題の現実
横田めぐみさんが拉致されたのが1977年であり社会問題化したのが80年代初頭である事から、拉致問題は1970年代80年代の過去のことだと感じている方も多いだろう。
しかし特定失踪者問題調査会によるると、北朝鮮によって拉致された可能性が高いと思われる方々のリストは昭和23年、1948年平本和丸さん(当時20才)を初めに、平成15年2003年高見至さん(当時43才)までおよそ500人弱の方々が記載されている。
拉致被害者ではないかと思われる20才から43才の方が、2003年、18年前に3人、その前年2002年には5人記載されている。
18年前私は30才だ。ちょうど第一子をもうけたときである。
三重県でも11人の方々が特定失踪者としてリストに含まれている。
つまり、私もその時と、その場に居合わせれば、北朝鮮の兵士のよって突然攻撃され、意識を失い、気が付けば木造船の船底で日本海上を漂っていたかも知れないという事である。
拉致問題。他人事だろうか?
教科書に載っている過去の問題ではない。
どこか遠い国の誰かの話でもない。
500人弱の特定失踪者の方々には当然、ご家族がみえる。ご両親、ご兄弟。仮に3人づつご家族がいるとすれば、1500人の方々にとってこの拉致問題は、今も苦しく、辛く、家族にのしかかっている。解決に向けての現実
そして我が国は政府が勝手に決定を下すことが出来る様な独裁国家ではない。
仮にこの問題を解決するタイミングが訪れたとしたら、国民の皆さんには問題解決の為の理解と承認をいただかなければならない。
例えば、拉致被害者の捜査を行おうとすれば、調査団が北朝鮮に向かうことになる。
北朝鮮はご承知の通り、ミサイル、つまり武力で外交をすすめてきた国である。調査団は北朝鮮の武器を所持した兵士に取り囲まれることになるだろう。調査団を守る為には我が国もそれに匹敵する武器を携帯し、調査団を守らねばならない。
しかし我が国の自衛隊は基本的に国外での武器使用を認められていない。
ましてや、この拉致問題を日本と北朝鮮の「紛争」と捉えれば憲法に違反する行為と言う事が出来てしまう。
また当然一定の支出を要する活動になる事は明らかである。
この、法改正、そして費用の支出の現実的な問題が明らかになったとき、国民の皆さんには、多年にわたり理不尽に引き裂かれた家族の思いに理解を示し、承認頂きたいと思うのが私の見解だ。
早期解決を!
私のまん中の娘は今ちょうど、めぐみさんが拉致された時と同じ中学1年生である。
ラグビーに励む娘が突如としていなくなり、どこに居るのかも分からなくなったら。平和だと思っていたこの国で、当たり前の日常が突如崩壊し、家族の全員から笑顔が消えることだろう。耐えられるだろうか。
昨年亡くなられた滋さんは愛娘から貰った櫛を、亡くなるまで大事にそばに置いていたと聞きく。身につまされる。
滋さん以前にも、我が子の帰還を、たった一度でも良いからもう一度会いたいと、無念の思いのままこの世を去られた拉致被害者のご両親がみえる。
残されたご家族がご高齢になる中、一刻も早く生存する全ての被害者が帰還することを心より望む。
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