討ち入りの真相
先日政治大学院にお越し頂いた小名木善行先生のブログ。

討ち入りの時にならしたのが山鹿流陣太鼓。 吉良上野介と浅野内匠頭長矩
悪口をネチネチ言われたから
でもなく
賄賂を要求されたから
でもなく
塩田の利害関係の衝突
でもなく
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山鹿素行「中朝事実」を読む |
そして
義憤に駆られて長矩は刃傷に及び
その事が分かったから家臣は討ち入りにまで至ったのではないか?
辞世の句
風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとかせん
いかにとかせん!
と訴えた春の名残
これは彼自身の事ではなく御皇室、天皇という存在の事ではなかったのか。
小名木先生は他の説同様確かな証拠はないものの、どの説よりも一番納得がいった。
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室町時代、戦国時代、江戸時代と続き天皇は京に住まわれ歴史は武士によって動かされ、政治の実権は将軍が行ってきた。
そんな中、いやいや日本は天皇の国なんだ。
漢籍を学ぶ事が学問とされた時代に、いやいや、中国=世の中心は葦原の中つ国=日本だ。
漢籍を学ぶ事が学問とされた時代に、いやいや、中国=世の中心は葦原の中つ国=日本だ。
と主張した山鹿素行。
彼の研究の集大成、中朝事実は山鹿素行の赤穂滞在時代に書かれている。
この本は吉田松陰の心を揺さぶり、即ち明治維新の志士達の思想の礎になり、後に裕仁親王殿下の教育を仰せつかった乃木希典が愛読した本。
私もこの復刻版で学んだ。
この本は吉田松陰の心を揺さぶり、即ち明治維新の志士達の思想の礎になり、後に裕仁親王殿下の教育を仰せつかった乃木希典が愛読した本。
私もこの復刻版で学んだ。
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