建設水道委員会の行政視察・鞆の浦の埋立て架橋問題
鞆の浦に行ってきた。
この小さな一角に年間170万人ほど訪れるようだ。我々がいたときにも観光バス乗り付けてた一団が何組かいた。
坂本龍馬の「いろは丸」がこの起きに沈んだという事で龍馬伝以降来訪者が増え、挙げ句の果てにこの「架橋」の問題に宮崎駿氏が係わって市側が敗訴したりと全国的に有名になった関係で200万を超える来訪者が訪れるようになったとか。
その問題の架橋。
地図の右側に上下に走っている県道22号線、この幹線道路が鞆の浦のど真ん中を左右に走り左下に流れていく県道47号に続いていくわけだが、添付した写真の通り「むちゃくちゃ狭い」
鞆の浦のGoogle Map
我々が歩いていたときも道を占拠して歩いている事にいささか苛ついた顔で走っていく乗用車があった。彼らにとっては生活のための道。それを知らないで身勝手に歩き回る観光客。おそらく「またこいつらか」とでも言わんばかり。
片側一車線の対向ができるような状態にない道に路線バスも入ってくるらしい。
結果土日の観光ラッシュ時には地元の人達は買い物にもまともにいけない。
そりゃイライラするだろうよ。
市役所の人曰く、火事や病人がでた時の緊急時にはどうするの?ってなぐらいこの道は麻痺するらしい。
一方で 観光には遊歩道が不可欠。バスを降りて歩き回る空間があって、そこに土産物屋や観光名所があって自由に散策して初めて安心して楽しめる。おかげ横町に車は入ってこないでしょ。そりゃ。入ってきてもメインストリートじゃないからね。生活道路じゃない。
だから鞆の浦は今の状態では生活道路も観光用遊歩道もどっちもが中途半端。
で、役所としては湾をまたがる橋を架けたい。観光地と生活道路の分離だ。単に道路の整備だけでなく下水道の配備や湾内に乱雑に広がった漁船なども整頓も同時にしたいらしい。地域開発計画だわな。
ところがこれが「景観を損ねる」との事が持ち上がった訳だ。
確かに鞆の浦「湾」がそもそもこの場所のこの場所たる所以。その湾に無かった物を作る事への「拒絶反応」なんだろう。
「山にトンネルを」という案も対案として出されたようだがどうも上手くいかないらしい。
県道47号 |
役所側は住民の9割が架橋に賛成。しかし反対側は3割の反対署名を集めたとか。
ともあれ大凡60%ぐらいがそれでも生活幹線道路を確保して欲しいという切実な思いがあるらしい。
市長はこのことに関して「部外者が首をつっこむな」的な発言をしたことがあるらしい。
というのも反対する一部の住民が地区の外に助けを求めに行って事を大きくして「宮崎駿氏」や「国際記念物遺跡会議(イコモス)」なんかを味方に付けて反対運動を激化させたという事のようだ。
県道47号 |
「現場のこともよく知らないくせに横から口出すな」 と言いたくなる気持ちはよく分かる。
アンチ体制的よくある市民活動・抗議活動路線があってとにかく行政のやることは常に不備がある的な先入観と感情論も混在してそうな臭いもする。
だから役所の人はしきりに地元住民の多くが架橋を望んでると力説してたっけ。
詳しくはここに:鞆の浦架橋問題
果たして景観と生活、何を同バランスを取るのかという、結構何処にでも横たわる切実な問題がここにもあるわけだ。
我々がここを訪れた理由はそもそも都市計画部が津市独自の景観計画を策定したいという思いがあるから。
景観を云々っていう場所ってのはそもそも古くて歴史的価値が有る物でしょ。だから過去の遺物だわな。
車がない時代の道路と車社会になってからの道路が同じで言い訳がないわけで、双方を共に両立させることは用意じゃない。生活が徒歩だったときに成り立ってた商店街は今は存続するとかしないとか吹っ飛ばしてそもそも機能しない。出来ない。一身田みたいにね。
「景観」ってな事なわけだから「観光」と直結なわけで、観光地としての計画、つまり集客や収益増などの目標を達成するための「規制」で無くては意味がない。
今は県の計画に含まれている状態だから独自路線を確立したいという気持ちはわかる。
だからとりあえず大まかなことだけ決めて、細かな規制内容(何m以上の建築物は届け出が必要とか) は決めないでおくべきだと思うな。
結局その地域をどうしたいの?これからどうしていくの?という目的無くして規制もなにも無いわけよ。
あとから観光客が増えてから大きな駐車場作りたいって言っても「規制」があるから出来ません何て事になったら本末転倒なわけでね。
だから「目的」を阻害しない限りっていうか「目的」を達成するための建築であればOKってな抜け道をつくっとかないと、津城と指定史跡みたいな関係になってまうよ。
何か次の定例会にこの話が持ち上がってくるらしくって、準備しないといけない訳ね。次ぎ質問する予定なんでね。
コメント
コメントを投稿