[書評]「正しさ」の商人
著者である林智裕さんのtweetを見て、確か安倍さんの事だったと記憶しているが、この方の書いた本を読んでみたいと思ったのが切っ掛け。
福島で震災に遭い、原発事故を間近に経験した方だ。
内容
"普段から「弱者の味方」の如く振る舞う知識人とそのシンパ、報道、学者、政治家、芸術家や伝統宗教の関係者"(引用)
が
有りもしない「鼻血被害」や事実とは異なる当事者の声を流布し、現実福島とは異なる「フクシマ」を造り上げ、恐怖をあおってきた。
その現場で繰り返し「事実」を訴えてきた著者の、意図的に事実を改ざんし、切り取り、歪めてきた者達へのほとばしる怒りを行間から感じる。
原発事故の放射線では死者は元より健康被害をもたらすほどの被爆はなく、今後被害が増える事もないというUNSCERの報告書が2013年に既に明らかにしている。
にもかかわらず事実を伝える事が「正しさ」の為繰り返し拒否されてきた。
例えば2019年に復興庁が「福島の今」を伝えるテレビCMを作った。福島から避難した子供達の差別や偏見の解消を目指して作成されたものだった。
しかしテレビ局側からは
「放射線のリスクと影響は今の段階ではまだ完全に分からない」
という理由が示され、(UNSCERの報告書が示す事実は無視された)
当たり障りのない内容に改変されたにもかかわらず、
「福島が元気であると放送するのは、まだ苦しんでいる人達への配慮を欠くもの。被災地の感情に配慮すべき」
「復興は終わって居らず、避難者はまだおり、配慮が必要」
「被災者の感情に配慮し、慎重にすべきと判断した」
という理由で放送が拒否されたという。
放送局の独善的な「正義」に阻まれ、逆境から立ち上がり、前を向いて、力強く生きていくと言ったメッセージすら許されない。社会に於いて事実の享有が妨げられる「情報災害」が、マスコミによっていかに強固に温存され続けてきたのかを端的に示す出来事であった。(引用)
ほか文科省が作成した放射線副読本が市教委によって回収された事例も紹介されている。
著者の言う「正しさ」の商人とは死の商人と言われる武器商人になぞらえた表現である。政治利用のため、或いは記事にするため、または商品を売りつけるために、「正義」を振りかざす。その為に当事者である福島の人達は、差別的扱いを受け、偏見にさらされ、どれだけ真実を伝えようとしても疎まれ、忌避され、苦しめられてきた。
おそらく言論の場で訴え続けてきた著者自身の実体験なのだろう。
彼らのまき散らす偽りの正義を「風評加害」と著者は名付ける。
そして意図的にデマを流し続ける加害者が、断罪される事はない。
何故人はデマに踊らされるのか。意図的にまき散らされる偽りのウソをあっさり信じてしまうのか。著者は冒頭に複数の心理学者の研究を紹介している。
受け入れがたい現実。少ない情報。
↓
そこから来る不安。
↓
その不安を解消するための納得できる「何か」を求めるのだという。
例えば
放射線の様な目に見えないものに対する漠然とした不安。福島の食品は安全なのか?という不安。私は被爆するのかも知れない、という恐怖。
↓
↓
現場を知らない一般消費者は「あの人が言っているからやっぱり危険なんだ」と落ち着く。
科学的根拠や調査結果が示す被爆は起こらなかったという事実、或いは現場の生産者の管理や努力は顧みられる事なくイメージは固定化していく。
私がこの構図を見て思い当たったのは安倍元総理の真の暗殺者は誰なのか?というある種の陰謀論だ。
安倍さんが殺されたという受け入れがたい事実。狂信者による信じがたい動機。そんな武器で殺せるはずがない!ありえない!という感情。
↓
そこにもっと辻褄の合う隠された現実があるはずだ。という先入観から、別の狙撃者がいたはずだ。単独犯行のはずがない。警察も病院も真実を公表していない。背後に暗躍する暗殺計画を立てた「誰か」がいるはずだ。
↓
一部の人達は安倍さんの存在を煙たく思っていた某国の仕業だと確信し、心の安堵を得る。
こうしてデマは鎮静剤の様にして流布される。
デマを広げないために、デマに惑わされないために
このようなデマが流布しない様にする為には、情報を持つ側が事実を提示し、デマを否定し続けていく必要があるという。
福島で言えば、被爆の不安をあおる報道や発言に対し、UNSCERの報告書で明らかになった福島で被爆は起こらなかったという科学的根拠を提示して反論する必要がある。
それは政府や自治体が行うべきである。(テレビ局の事例では事実は提示されながらもあえて無視されたのだが)しかし現実は著者の様な一般人、被害者がやむにやまれず反論してきたという。なぜ風評加害の払拭を被害者が担わねばならないのかと著者は憤る。
加えて、我々情報にあふれた社会に生きる一人ひとりが、デマにに惑わされない耐性を持つ必要があると思う。
そんな意味でデマがあふれる今を生きる我々に取って、この書を読む事は非常に意義のある事だと感じた。
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