[書評]ソヴィエト旅行記 ジッド著

 事実は小説よりも奇なり

これ程この本に適した言葉はない。

共産党員だったフランス人作家が、革命後およそ20年経ったソヴィエトを訪れた感想を綴った本。

1936年にオリジナルが発表され、当時の左派作家達から猛烈な反発を受け、裏切り者というレッテルを張られることになる。

世界中で有名になった本で、当時日本でも翻訳され日本の共産党員宮本顕治の妻で、作家の宮本百合子もジッドの主張に反論した文章を残している。

新たに翻訳されたこの本は2019年に出版され、確か産経の書評で見かけて手に取ったはず。

溌剌とした美しい若者たち

ジッドを含めた視察団はソ連政府より熱烈な歓迎を受ける。

彼らが出会ったピオネール(共産少年団)やコムソモール(青年団)の子供達は溌剌とし、健康的で、まなざしは澄んでおり、自信にあふれていたという。

文化公園に集まる若者たちも、男女入り交じりながらも真面目さと礼儀正しさがあり、卑猥な話は聞こえてこない。(おそらく彼はフランスの当時の青年達と比較しているのだろう)ダンスを楽しんだり、スポーツを楽しんでいたり、チェスやチェッカーをしているものもいる。

男性も女性も体格も良く非常に美しかったと表現している。

革命後も搾取される労働者

しかし、それがごく一部の者達であり、多くの労働者は劣悪な環境で働かされ、住環境も酷く貧しく、食事も僅かしか支給されず、帝国時代と変わらないか、それより酷い環境に置かれていることを知る。労働者は特定の工場や農場に所属しており、職場を転ずる自由を剥奪されている。つまり居住地を変える自由をもっていない。

サナトリウム(温泉)や保養施設が多く建設されている。労働者達が新しい劇場建設のために働かされ、安い賃金しかもらえず、汚い仮設住宅に押し込まれているのを見ると、心が痛む。(そしてこの労働者はこの劇場に訪れることはおそらくないだろうという事をジッドは感じ取っている様だ)

ジッドは革命により労働者を搾取するブルジョアを一掃したにもかかわらず「新たなブルジョア労働者階級というべきものが再生産されるのではないかと私は怖れる」と書いている。そしてそれはその通りになった事を我々は歴史として知っている。

後の続編でジッドは「プロレタリアに対する官僚の独裁」と表現している。

平等であるはずの共産主義国家の現実

モスクワで店が開く前から列を作る2-300人の達を目撃する。その日はクッションが入庫したと通知されており、4−500の商品に対して1000から1500人の人が並ぶ。生産計画は全く需要に間に合っておらず、品質は粗悪。膨大な不良品が生産されていることも数字で報告されている。

このあたりは、後に我々が歴史で学んだ通りである。

給与にはかなりの格差が存在し、最下級の労働者の月給が125−200ルーブルなのに対し、上級職は1万から3万ルーブルにのぼる。

生鮮食品の価格はとても高く、つまりごく僅かな物だけが購入することが出来、一般的な人達は手にすることが出来ない社会構造になってる。「供給が需要を情けないほど下回っている(略)商品は高いね段を払える者達にしか行き渡らないから、大多数の庶民だけが欠乏に苦しむ事になる」

無知である事の幸福

ここからは本文を引用しようと思う。

毎朝「プラウダ」が彼らに何を知れば良いか、何を考えれば良いか、何を信じれば良いか、教えてくれる。そこから出ようとしても何も良いことは無いのだ。

パンも野菜も果物も、君には質が悪く見えるだろう。だが、ほかにはないのだ。(略)ほかに選択肢はないのである。(略)ここで大事なことは、人々に、もっとマシな将来を待つ間、さしあたって現状では最大限望み得るのと同程度に幸せだと思わせることなのであり、ほかの何処へ行こうとも、ここほど幸せではない、と思わせることなのである。

フランスの労働者と同等の生活条件、或いは明らかに劣った生活条件にありながら、フランスの労働者よりも自分は幸せだとみなしており、そして、実際遙かに幸せなのである。

彼らの幸福は、希望と信頼、そして無知から出来ているのだ。

ソ連の住民達の幸福のためには、この幸福が周りから遮蔽され、守られていることが必要なのだ。

従順である事が密告社会で身を守る術

為政者達が人々に求めているのは、大人しく受け入れることであり、順応主義である。彼らが望み、要求しているのは、ソ連で起きていることの全てを称賛することである。彼らが獲得しようとしているのは、この称賛が嫌々ながらではなく、心からの、いやもっと言えば熱狂的なものであることである。

どんな小さな批判も重い処罰を受けるかも知れず、たちまちに封じ込められてしまう。

ソ連以上に精神が自由でなく、ねじ曲げられ、恐怖に怯え、隷属されている国はないのではないかと私は思う。

子供らの無邪気な一言が自分を破滅させるかも知れないので、子どもの前出すらおちおち話も出来なくなる。誰もが監視している。お互いを監視し、監視されている。いっときも気が抜けない。気兼ねのない話は出来ない。出来るとしたら妻とベッドに入っているときぐらいだろう。妻を十分に信用できる場合に限ってだが。

まとめ

「 事実は小説よりも奇なり」という有名な言葉で書き始めた。

有名なSF小説、ジョージ・オーウェルの1984を読んだ後だったからだ。

ソヴィエト旅行記に記された、ジッドの目に映った共産主義国家の現実はジョージ・オーウェルの描き出したディストピアそのものであり、1984で描写されたストーリーよりもジッドの記録は遙かに細部にわたりエピソードの数も圧倒的に多い。

ソヴィエト旅行記が1936年に出版され、ソヴィエトの実態を報告した書籍の中で飛び抜けて売れたことを考えると、1949年に発表された1984の作者オーウェルが、ソヴィエト旅行記を読んでいなかったとは到底考えられない。

最後に、先般Twitterで見かけた古いジョークを引用し締めくくることにする。

モスクワはアメリカが天国と地獄に繋がる電話を開発したという事を聞きつけた。

ソヴィエトがこの電話を使わせろと言い、天国にかけた。

レーニンはいるか?

済みません、レーニンは天国におりません。

地獄にかけた。

レーニンはいるか?

はい居ります。

10日後アメリカの会社が電話料の請求をよこした。

何故100.1ドルなんだ?

天国への電話代は100ドルです。

じゃあ地獄への電話代は10セントなのか?

はい、ソヴィエトから地獄への電話は国内通話扱いですので。

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