議案質疑:性の多様性を認め合い、誰もが安心して暮らせる三重県づくり条例案

 本日2月25日

県議会に上程された議案23号に関して質疑をしましたので報告させて頂きます。

これは「性の多様性を認め合い、誰もが安心して暮らせる三重県づくり条例案」と言われ、各社新聞で三重のアウティング禁止条例などと報道されたものです。

本条例の逐条解説付き最終案はここからダウンロード

今回最終案が上程され審議するにあたり、この条例の内容に関して幾つか執行部の見解を明らかにしました。


  1.  全ての人が尊重される条例の対象は、性的少数者と呼ばれる人達だけなのか、全県民なのか。
  2. 同性の相手と暮らすことも異性の相手と暮らすことも同じように尊重されるのか。
  3. 性的少数者と言われる人達の生き方を受け入れることが出来ない、という人の価値観も認められるのか。
  4. この条例が出来ることによって社会が分断されるようでは困る。
  5. この条例が理念条例であり、県民の理解を求めることで目的を達成する。

以上5点を確認しました。

なお、録画された動画は県のページでアップされ次第、このブログに追加します。
R3/2/25

アップされたので追加します。
R3/2/26

やり取りのテキストは以下の通りです。

議案第23号

性の多様性を認め合い、誰もが安心して暮らせる三重県づくり条例案

についてお伺いします。


Q1.


同条例3条および4条に基本理念が示されております。4条には性的指向及び性自認を理由とする差別的取り扱いをしてはならないと書かれています。

この性的指向に関しては定義の2条の1に「自己の恋愛又は性的な関心の対象となる性別についての指向」と書かれており、その指向が自らの性と同じ性なのか、或いは異なる性なのかは書かれておりません。

また、2条2項性自認に関しては「自己の性別についての認識」、と書かれていますが、その認識が生物学的性と自己の性別の認識が異なるのか、同一なのか、書かれておりません。


この条例の前文には「私たちは一人ひとり尊い存在であり、性別、性的指向及び性自認をはじめ価値観、生き方などもさまざまである。」と書かれております。

3条にも「全ての人の人権が尊重される」と書かれておりますが、4条に書かれている差別的取り扱いをしてはならないという対象はどのような存在か、

また前文には「多様な生き方を認め合い」とありますが、例えば、同性の相手と暮らすことも異性の相手と暮らすことも同じように尊重されるのか、伺います。


【部長答弁】

(性のあり方をめぐる現状)

1 性のあり方については、好きになる相手、性的対象が誰であるかという性的指向は、異性愛、同性愛、両性愛、無性愛などさまざまです。また、性自認に関して言えば、男女の性別に違和を感じない多くの方々がいる一方で、性同一性障害や、生物学的性別と性自認が一致しない方々もおられます。こうした全ての人の性のあり方を前提に第2条で「性的指向」及び「性自認」を定義しています。

  ご質問いただいた第4条の「何人も、性的指向又は性自認を理由とする不当な差別的取扱いをしてはならない」の対象についてですが、そもそも他者の性のあり方を強制的に聞き出したり、表明を禁じたり、他者に暴露したりすることは、当事者を傷つけ、周囲との人間関係や就労環境を不安定にしかねません。

 また、性のあり方が多様であることへの社会の理解不足による差別や偏見、例えば、悪気なく、カミングアウトを強制してしまう例や、「本人の同意をとっていないが、良かれと思って伝えてあげた」とアウティングをし、本人を傷つけてしまう例もあります。当事者ご本人が家族や身近な人に相談できないということで苦しむということもあります。

(条例のめざす社会)

2 このため、第4条では、全ての人を対象に、こうした性のあり方を理由とした差別は決して許されるものではないとしています。同性の相手と暮らすことも異性の相手と暮らすことも同じように尊重されなければなりません。また、性のあり方が理由で、さまざまな場面で個性や能力を発揮する機会が失われてはなりません。このように条例では、何人も、性のあり方にかかわらず、尊重され、一人ひとりが個性や能力を発揮し、多様な生き方が選択できる社会をめざしています。

Q2.

性にまつわる事柄はプライベートな事であり、性のあり方に関わりなくそもそもみだりに口外すべきものではない事。また、この条例は「全ての人」を対象にしたものであり、同性の相手と暮らすことも異性の相手と暮らすことも同じように尊重されるという事確認いたしました。


我々の社会にはさまざまな価値観の方が居り、その中には同性同士が生活を共にすることや生物学的性を受け入れることが出来ず、多額な出費と苦痛を乗り越え性別適合手術をうける人達を理解することが難しいと考える方達もおられると思います。私自身も本年度この事に係わって初めてゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランス男性、トランス女性と言われる方達と接し意見を直接伺い、現状をしり、書物も読み理解する努力を重ねてきました。振り返ってみるとそれ以前は全く実情を知らない偏見の塊だったと認識しています。しかし自らが長らく生きてきた価値観と異なる価値観を理解できるか理解できないかは、年齢にも左右されるでしょうし、また受け入れられないと感じる事が批難されるべき事でもないと思います。

日本国憲法では

14条に於いて心情によって差別されないことが保障され、19条では思想の自由は侵してはならないと書かれております。


性の在り方が故に差別的扱いをする事は問題であり、県民への理解をもとめ皆でこれをなくしていく努力を、県民全体で確認する必要がありその為の条例だと思いますが、他方心の中のことまで行政が踏み込むべきではないと思います。このことに関して見解をお伺いしたい。

また、この条例が出来たが故に意見の違いから県民同士が対立し、社会が分断されてしまうような事になってしまっては、この条例の目指すところではないと認識していおりますが、見解を伺いたいと思います。


【部長答弁】

(性の多様性について)

1 性のあり方については、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーと言われる方々や性的多数者を含めてその考え方は様々であり、そのことについて他者から何かを強要されるものではないと考えています。

また、条例案の前文においては、性別、性的指向及び性自認をはじめ価値観、生き方など様々で、一人ひとり尊い存在であり、お互いを理解して交流し、分断ではなく支え合う温かい地域としていくということに触れており、異なる意見や考え方を包摂しながら、一つ一つ進めていくことが大事であると考えています。

 (「してはいけないこと」について)

2 一方で、性的指向・性自認について、そのことを理由とした就職や待遇など職場等においての不当な差別的な取扱いや、偏見によって起こる差別、誹謗・中傷など差別的な言動により傷つけるものや、SNS及びインターネット上での差別的表現の書き込みなどはあってはならないものです。

 また、カミングアウトの強制(及び禁止)や本人の同意のない暴露(アウティング)は、当事者を傷つけ、周囲との人間関係や就労環境を不安定にしかねないものです。

このため、本条例案においては、こうした行為について「してはいけない」ことであるということを示した上で、第8条の県民の役割において「基本理念にのっとり、性の多様性に関する理解を深める」こととし、全ての人にとって、性の多様性を認め合うことが社会における共通認識となるよう、広報啓発などに積極的に取り組んでいきます。

Q3.

性のあり方については性的多数者も含まれること。また、性のあり方について他者から何ら強要されるものではないこと。確認しました。

そして、してはいけない行為として性的なことを理由に他者を傷つる事、人間関係や就労関係を不安定にしする事、など県民に明らかにし、性の多様性に関する理解を深めることを県民に求める事、理解しました。


では改めてこの条例はどのような目的で、その目的をどのように達成する為に作られたのか。総括していただきたい。


【部長答弁】

1 条例案では第1条(目的)で「性的指向及び性自認にかかわらず、全ての人の人権が尊重され、多様な生き方を認め合う社会の実現に寄与すること」を掲げており、こうした理念を実現させていくための条例です。

性的少数者と言われる方々の中には、そのことで悩み苦しみ、つらい思いをされている方々がいらっしゃいます。そのなかにはカミングアウトをしない方々も大勢いらっしゃり、それは公表することで得るものや失うものがあることを考えてされていることもあるように思われます。

その方々にとって特に問題であるのは、親や家族に受け入れられることで、家族を取り巻く社会の理解があれば、当事者ご本人もその家族の皆さんも、当事者の性のあり方を受け入れられるものと考えます。

 思春期の当事者がアウティングの影響で亡くなられる事例などもありました。このようなことが起こらないよう、性の多様性を認め合い、誰もが安心して暮らせる三重県づくり条例案を提出しました。

 条例を制定し、性の多様性について、社会の理解や共通の課題認識を広げ、悩みや不安を抱えていた当事者の方々が、家族や社会に認められ、悩みや不安を解消し生き生きと暮らせるよう、安心して学び、働き、暮らすことのできる環境づくりを進めることで、第1条の目的の実現を目指します。

締めくくり


1条に書かれている目的「全ての人の人権が尊重され、多様な生き方を認め合う社会の実現」

という

理念を実現する条例と理解しました。

期待したいと思います。


質問の中でもふれましたが、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランス男性、トランス女性と言われる方々から話を聞く機会がありました。それぞれの状況を伺うと直面している課題も随分多様で異なり、一律に何か一つの施策を講じれば全ての当事者が抱える課題を行政的手法で解決できるというようなものは無いのではないか、使いやすいのでツイ使ってしまうがLGBTと一括りで語ることに無理があるのではないかと感じるようになりました。

当事者の中には例えば、「確かに楽しく幸せに生きたいと思うし、人生の課題はあるが、それは性的少数者の私でもそうでない貴方でも同じでしょ。それ全てを行政の解決して貰いたいとは思っていない。」といわれた人も居ました。性的少数者は弱者だという主張を聞く度に、「性的少数者の中には社会的弱者に当てはまる人もいるが、性的少数者だからと言って社会的弱者だとは限らない。少なくとも私には当てはまらない。そういうイメージで一括りにされるとちょっと違うと感じる。」と言っている人もいました。また「社会に改善されるべき課題はあるが、私強いわよ」と言われた人も居ます。

私が話を伺った人達の中には、「ことさら今我々の事がさまざまなところで話題にされ、何か社会の腫れ物にされてしまうようで困惑している。今まで通り静かにしておいてくれないか。一層社会から疎外されてしまうような気がする。」という不安を持っている人も多く居ました。

前文にある「誰もが安心して暮らすことが出来る社会」にはこういった大きな環境の変化を望まない人達も含まれるはずだと思います。

私が当事者の全てを代弁しているなんておこがましくてとても言えません。あらゆる課題をこの短時間で全て網羅することは不可能です。あまりにも多様です。でも、当事者の中に大勢いると言われている、自身の性的指向や性自認に関する違和感を広く公にしていないクローゼットと言われる人達の中には、先ほどお話ししたように「そっとしておいて」と感じている人が居ることも、執行部においてはこの条例を運用していくにあたって心の片隅に止めておいて頂きたいと思います。


以上


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