「武将」の一言では語り切れない
「天下を謀る」という藤堂高虎を描いた歴史小説がこの度5月に文庫本として再版された。
安部龍太郎氏の作品で高虎研究の大家藤田達生先生の監修も入っている。
安部先生と藤田先生の間で良く言う事があるのだそうで。それが「司馬遼太郎が憎い」 なのだそうだ。

そして当時藤堂高虎の研究はあまりされておらず「殆ど資料が残っていなかった」そうだ。つまり司馬遼太郎のバイアスがかかった完全に作り上げられた史実に基づかない高虎を司馬遼太郎は書いたのである。
まずその事が憎いのだそうだ。
そして何よりも文章が上手い。読ませる。
その事が憎いのだそうだ。

今我々が知っている高虎像はあまりにもゆがめられ、かつ情報は少ない。
しかし本当に藤堂高虎が司馬遼太郎の言う風見鶏で裏切り者で、理念も思想も無く利益追求型のエゴイスティックで身勝手な大名なのだとしたら、
- 大坂の陣において一番重要な先鋒隊が4天王と呼ばれる酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政ではなく何故高虎だったのか。
- 外様でありながら32二万石という大きな石高の領地をお家の取りつぶしも無く明治維新までの長きにわたってたもつことができたのは何故か。

- 臨終に際して息子である秀忠よりも先に高虎を枕元に呼んだ理由は。
これらの疑問に説明がつくだろうか?

本来なら我々こそが謝った高虎像をだたし、誇るべき藩主として擁護すべきでは無いのか?
どうだろう、是非いちど冒頭に紹介した書籍、拝読いただき皆さんの「知っている高虎像」をぶちこわしてみないか?
おそらく多く発見することがあるだろう。

藤田先生の資料PDF判
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