2012年10月16日火曜日

習志野市:公共施設白書

管外視察報告第2弾は習志野市の公共施設白書だ。

こいつはスッゲー頭の痛い話。でもマジで現実直視しないとかなりまずい話。
ぶっちゃけ成熟社会の今、過去と同じだけの公共施設を維持していくのって無理じゃね?
っていう何となく思ってることを、数値出して調べよーよ。って事。

どうだろう。正直自分の地区にある公民館を閉鎖しちゃいます。って言われたらどういう反応します?
えっ?マジで?何でウチなの?
と成るだろう。

また自分の通っていた、ないしは自分の子供の通っている小学校、中学校、または幼稚園が、閉校します。統合されます。って言われたら、まず拒否反応が起こるだろう。
学校に関しては児童数が分かっているのであまりにも少なければ仕方ないかな〜と思うかも知れない。でもその「少ない」の基準は?

だから数字を示す必要が出てくる。
習志野市の結果は結構ショッキングだった。
市の所有する全施設の建築年数や床面積、そしてそこから割り出される修繕や改築に必要な総額は、
年間40億。道路や橋梁、他インフラやプラントなど全ての維持にかけていたお金が年間50億。とてもまかないきれない。実際20億ぐらいしか年間支出できないのが現実で、即ち市の施設の半分を潰さなきゃ成らないという計算が出てしまったというのだ。

実際施設の修繕計画ってのは縦割り行政の中、各部局が持っている施設をそれぞれの部局が部局内でそれぞれ優先順位をつけて予算計上する形になる。まず全体でどれぐらいのスパンでどれぐらいの経費がかかるのか全庁的に把握することが出来ていないか、困難である。
上がってくる物全てを予算化することはそもそも無理で、最終的に予算組をしていく中でどれを落とすかどれをやるか決めなきゃ成らない。ここも「感覚」だったり「力量」だったりという物が介在しての判断になるのだろう。結局だれも明確な判断基準を持っていない状態で何らかの結論を出していかなければならない。新しい施設を作ればそれにはもちろん運営経費や維持費がかかってくる。それも津市全体の財政の中に長期的にどのような影響を与える物なのか「分からない」。だから建てるべきだという主張が強ければ通って行ってしまうだろう事は容易に予測できる。
あるいはその規模も財政的に「適切なのか」という事も何となくで話をしなければならないはずだ。
これらのことが白書を作成し、全体像が部局斑抜きで把握できていれば、数字に則った判断基準を手に入れることが出来る。

また、副産物と言うべきだろうが、公民館の中には経費が大きくかかっていても利用率が高く一件当たりの経費が割安な施設と、経費はそれほどかかっていなくても利用率が低いため一件当たりの経費が随分高くつく施設という色分けも容易に出来るようになる。
そういった評価が白書という形で公にされることによって、市民はいざ閉鎖という状況になったときに納得できる理由を得ることが出来、運営側は閉鎖の憂き目に遭わないように切磋琢磨して利用率を高める努力をする様になったという。

数値が示されて公表されても、じゃあどうするかという結論は、習志野と同じようなわけにはいかない。市を取り巻く環境が大きく違うからだ。
しかし、数値で示すことの出来る判断基準を持つことは戦略を立てる上に置いても根拠となる重要なファクターだ。

作るだけで労力がかかる。つくっても誰が使うの?必死こいてつくっても活用されなきゃいみねーだろ。という主張が出てくるだろう。そいつはどうやら作って初めて分かる連中が居ることもふまえて進めなきゃ成らないようだ。

そして公民館や学校、ほか斎場、ゴミ処理し施設、スポーツ施設と言った公共施設だけで無く、道路、橋、下水上水道設備、等々インフラやプラントも含めて全ての分野においてこれから将来に向けて掛かっていくだろう経費をしっかり把握する必要がある。
運営計画がずさんなまま建設された施設が津市に幾つあるだろう。その時の決定権を持っている人達によって「イケイケどんどん」で作られてきたもの。建設ありきで試算された事業。結果は当事者が居なくなったときに負債として後の世代が責任を負わされる。
我々が未来に向けて責任ある市政運営をしていくためには、するにしてもしないにしても、その根拠を明確にして、判断していかなきゃ成らない。

状況を数値化し、グラフ等を使って目視化することで適切な議論をする環境を整えることが出来る。

時代は変わった。
やり方も変えていく必要がある。