2011年11月21日月曜日

番号制度シンポジウム in 三重 ってのに参加した

  • 番号導入性の利
伊勢新聞主催のこのシンポ。出席者がたんねーって伊勢新聞の人から突然メールもらって、(未だに誰だか顔も良く分からないんだが)急遽参加した。

この番号制度、古くは国民総背番号制 ってな名前でトライされたがおじゃんになった。

要はみんなにID番号を振ってより管理しやすくするって事。

曲がりなりにもデータベースをいじったことがある人間です、データにIDを降るのはまず最初にすること。異なったデータベースも共通IDがあれば容易にリレーションをくめる。これがないと逆に別のデータを使って照合作業をする必要がある。対象が人間であれば名前って事になるわけだが、この名前ってやつは考えればすぐに分かるように排他的識別には適していない。同姓同名が当然存在する。その場合住所とか他のデータを使って該当しないデータを排除して行かなきゃならない。極端な場合集合住宅に同姓同名がいた場合最後の部屋番号まで調べて同一人物のデータかどうか判断しなきゃならない。当然不要な手間がかかる。

で、複数のデータベースとは何か、現在の所
年金、
健康保健
介護保険
労働保健
国税
地方税

等の分野で使われてるデータの様。
実際どの辺が今同じデータをもってて何処が違うデータを持ってるのかは分からんが、
いずれにせよ串刺しでデータを拾ってくることが出来るようになる。

この間実は厚生労働省管轄の職安経由の助成とで何処は同じなんだけど国から降りてきて市が分担負担している似たような助成制度の間で重複して助成を受けることが出来るのか出来ないのかを調べる機会があった。
結局の所紆余曲折があって、出る出ないが行ったり来たりした後、重複して支給されないことがわかったという事例に係わった。

たしかにこんな場合、データが串刺し出来て該当する個人を異なるデータの中でのステータスを照合できるようになれば問題はもっとすっきり解決したかも知れない。

もちろん年金の不正受給や支給漏れなんて事もずっとへるだろう。

この利ってのは基本行政側の利。
もちろん適切に支給されれば混乱も減って不公平感も減るだろう。
しかも「マイポータル」ってなページを作成して自分の番号「マイナンバー」がどのようにいつ誰に閲覧されたかを見ることが出来るようにしてて安全。尚かつ利用できる助成制度を逆に行政側からユーザーに「プッシュ」してお知らせするから受益者の受給漏れが無くなる。と推進派は利益はユーザー側にもあると喧伝する。


  • 番号制度が導入された社会での経験
ただ正直言うとこの番号制度、色々と気持ちの悪い印象を受ける制度だ。

アメリカは1930年代からsocial security numberってのが使われるようになった。元々は福祉目的のこの番号、結局税の関係に流用され、今では金融機関にも流用されている。いろんな契約をするときには必ず必要になる。免許を取るときにもこれがいる。車を買ったり家を買ったり、当然必要。クレジット会社がこれをつかうから、当人の納税履歴や様々な金融上の「信頼」にまつわるところでこいつが使われている。

で、推進派の人達は利便性だけをことさら主張するんだが、それはあくまでもその番号が自分の利益を保証する様に働いたときだけの事。

この番号ってやつがいったん自分の利益を保証しなくなったとき、これ程やっかいな物は無い。実は私も在米7年間の中で当然social security numberを持っていてそんな経験を何度かしたことがある。

 いったん絶対的な信頼を置かれるデータにエラーが発生して自分の実際のステータスを反映しなくなると、国や金融機関は誰を信頼するか、言うまでもなく本人ではなくデータの方を信頼しようとする。それを覆すためには時間と労力を使って場合によっては法廷で戦わなければならなくなる。自分の本来あるべき権利を再獲得するために。

私が経験したエラーは凄く単純なこと。
3ヶ月だけ帰国していた際に私の銀行口座がインターネット契約の支払いを引き落としてバランスがマイナスになった事が原因で強制閉鎖された。
私は当時渡米後1年ほどで銀行の職員が何を言っているか良く解らず、20ドルほどのマイナスを理由に1000ドルほどペナルティを払わされて、あげくに銀行口座の再開設を拒否された。そしてここからがミソ。いったん一つの銀行でブラックリストに載ると、他何処の銀行に行っても絶対開設が出来なくなる。

私の場合当時付き合いのあったアメリカ人の友人に助けを求めて交渉を繰り返したあげく、最終的にブラックリストから排除してもらうことで決着した。
その為には理由付けが必要になる。私の場合、銀行側は再三通達をしたにもかかわらずマイナスのバランスを回復しようとしなかったっために悪意のある利用者とだんていしてブラックリストに載せたと言う事だったんだが、実際私はこの通達を一つも受け取っていない。と言うのも3ヶ月間の帰国だったのでマンションも契約解除し住所のない状態だったから。つまり通達が適切に行われていなかった、という「理由」が付いたためにその後の処理を無かった物として、当初のステータスを復帰することに相成ったわけだ。

後に知ることになるがアメリカの社会には銀行口座やクレジットカードを持つことが出来ない人間がたくさんいる。理由はもちろん様々だ。そして殆どの場合はもちろん本人に過失がある。受けるペナルティが妥当かどうかは別にして。
アメリカでは今でも口座を開くとチェックブックをよこす。アメリカ映画を見ると良くチェックにサインして大きな金額を手渡すシーンが出てくる。いわゆる小切手だ。日本では普通口座では与えられない。それを簡単に開設できる講座にもつけた、結果過去にチェックを乱発して口座を破綻させた悪いやつがたくさんいた。そのほか色々なシステムを構築する度に悪い奴らがいろんな濫用を繰り返してそのたびにドンドン規制を厳しくしていった経緯がある。
そんな背景もあって私の犯した「過失」は額の大小を問わずあそこの社会では信頼できない人間の典型に値する事だったんだろう。
凄く単純でいくらでも起こりそうなことが原因でも、いったん貼られたレッテルをはがすのはものすごく大変。そんなものすごく窮屈な人が人を信頼しないそんな社会だ。

  • 反証
推進者の技術側代表の東京大学大学院須藤修教授は当然渡米経験もたくさんあるようで私の主張した経験をすぐに理解した。もちろん私は上述のような細かい説明はしなかったし、教授の引き合いに出した凡例は的を得た物ではあったが所詮回復に何日も要するような大きな案件ではなかった。つまりその深刻さを理解したかどうかははなはだ疑問だ。
ようやくすれば「アメリカの事例は良く知っており、我々は過ちから学びより良いシステムを構築すべきであるし、それは十分可能である。加えてアメリカの体質は労働組合による影響が大きく自分の管轄外の仕事を率先してやろうとしない。日本には違う文化があるから大丈夫」というような物。教授の引き合いに出したホテルでのミスならそんな程度で済むだろう。逆に言えば彼はそれ以上の困難な状況に直面したことがないんだろう。


  • 起こりうるディストピア
 私は機械的に行える処理は極力機械化して行うべきだと考えている。デジタル化擁護派だ。だからこそデジタルに出来てデジタルに出来ない物をよく知っているつもりだ。
人間の感情はその中でもデジタル化できない最たる物だ。
これ以上続けると話がSFかしそうで、怖い。
しかし現にそれをやろうとしている科学者がいる。

須藤教授は学者にありがちな高々度科学技術に裏付けされたユートピア論をぶった。高度なクラウド技術に裏付けられた安全性と、デジタル処理とデータ解析によってもたらされるアナログ処理では到達不可能な恩恵。実は私も共感するところが多々あり面白いアイデアだと思う。ただそれはあくまでも上手くいけ場の話。
例えばと言うことで彼の出した凡例は行政サービスの情報収集システム。アメリカでは幾つかの自治体で導入されているらしく、例えば何処の地域でゴミが収集されていないとか、側溝が壊れているとか、そんな声がマップ上にデータとして表れ、これを集積することによって無駄のない迅速な住民サービスを現行の物より充実して行うことが可能だという。非常に興味深い。
でもこれはマイナンバーを使わずともfacebookアカウントでも十分出来るサービスだ。我々の生活データを売り渡すにはあまりにも対価が低い。

もちろん年金受給の場合を引き合いに複数部局に申請をしなければならない手続きの煩雑さ、マイナンバーを使うことで自動処理が可能だという凡例も出された。それによる人的経費の削減は申請者の煩わしさより大きく大きな経費削減になることも良く解る。

私の一番危惧するのはこの番号が拡大利用され民間に流用されること。

そしてもう一つはこの番号制度現政権のシナリオ通りに事が進めば住民側に拒否権は無い事。無条件に「強制的」にこのシステムに組み込まれることになる。全員が登録されなければ意味がないというのが理由付けだ。我々に選択の余地はない。

先に述べたようにアメリカには銀行口座を持たない人達が相当数いる。つまりシステムからはじかれた人間が必ず相当数排出されることを意味する。そしてそれは一定数に増えた時点でコミュニティになる。システムに組み込まれないアンダーグラウンド的な集団だ。その集団にいったん落ちれば自分のステータスの回復は困難であり、場合によっては価値観や生活の思考の影響で子供にもこれが継承される。この下層集団はアメリカに実在し、事実上のカーストシステムになっている。私の経験しなかった上層階級のボーダーラインもおそらく存在するだろう。

日本をこんな窮屈な社会にする可能性を実はこの番号制度ははらんでいる。それは導入直後には起こらない。何十年か後にの話だ。


  •  公平とは主観に委ねる観念
社会保障税一体改革担当大臣古川元久氏と内閣官房社会保障改革担当室審議官向井治紀氏も来ていて口をそろえて
公正で公平な社会保障が可能になると主張していた。
果たして高度な分析結果を行えば公正で公平な社会が出来るのだろうか。
公正にはなるかも知れない。しかし公平とは多元的なファクターが複雑に絡み上がって出来上がり、結果それぞれの個人が「感じる」ものである。

同じ給料を得ていても子供がいるのといないのでは出費が異なる。受給額をそろえても公平にはならない。結果子供を作ることは社会の利益であるから保護しようと言うことで控除の対象になる。扶養家族は子供だけではない。家内も両親も。親が病気になって介護が必要であれば介護保険が適用され助成をうける。
給与という形で得られる労働の対価とは別の物が再分配という形で供給され、何らかの公平さを形成しようという努力が行われている。これが現在の状況だ。
しかしそれだけでは完全に公平にはならない。住む場所も違えば業務内容も違う。拘束時間も違い通勤時間も異なる。
より多くのデータを解析することでより公平な再分配が可能だと言うが、何処までデータ化をするつもりなのか?いや何処までデータ化すれば「完全に公平」になるのか。
個人の感覚や人格までデータ化してその反応を調べれば「公平感」まで予測しバランスを算出して的確な供給額を割り出せ利出せるだろうか?
よりフラットな再分配をすれば皆が幸福になるだろうか?
もっと税金を集めて再分配を暑くすればより公平になるだろうか?
何よりも現在主導して行っている政権が中央集権的大きな政府を前提とした社会主義思想政権であるという懸念を彷彿とさせる要素がそこここに見え隠れしてくる。
 興味がある人はこの資料に目を通して欲しい。
表紙裏面、ページ番号3が降ってある所の左側のダイアグラム「選択肢Ⅰ」を見てもらえばその一端が見て取れるだろう。

A案をドイツ型(税務分野のみでの利用)
B案アメリカ型(税務+社会保障分野での利用)
C案スウェーデン型(幅広い行政分野で利用)

と書かれ、より多くの国民へのメリットがあると主張する。

スウェーデン型社会は言わずと知れた高福祉社会主義国家。
より大きく管理しより多く集めより多く分配しより「公平」な社会。

それを高度なデーターベースをもって処理し過去に出来なかったようなレベルまで詳細に実現する事を目標にしているらしい。

機会は分析結果をsuggestionという形で提案する。

その時人は一つのレコードの中に収まるデータとして分析・管理される。

国民が同じ形にリシェイプされた粒子として並べられた社会。
そこに個性は必要なく努力も意味を成さなくなる。

そこに我々の求める理想社会があるのか?