2010年10月20日水曜日

共生・主張

今朝ドイツの首相が他文化社会はうまくいかなかったという発言をして物議を醸し出しているという記事を読みました。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/453179/
他にもヨーロッパの各国で外国人に対する排斥感情が盛り上がっているというニュースをいくつか見ました。

改めて容易な問題ではないと感じました。"外から来た人"という感覚はなかなかぬぐい去れない。ここは我々の土地だ。という感覚もよくわかるし、これをどうこうするのも難しいです。また文化が浸食される、我々の国が無くなってしまうのでは無いか?というある種の恐怖ですね。もちろん社会福祉制度や就労の問題も含めて、自分が受けるべき権利を奪われているという生活に直結した摩擦も、これをよりややこしくしてるように思います。

だからこそ共通目標が必要だと常に思うんです。お互いが同じ方向を向いているんだという認識、そこから生まれる信頼。そしてお互いにそれぞれの持っている物を浸食しない阻害しないという事。つまり尊重するというマナーとでも言うのか。その上で我々が共に我々がお互いに心地よいと思える社会を作るんだという感覚が必要だと思うんです。だから外国人には常に、この地を寄留地と思わないで、自分の未来がある土地、自分の子供達が生きていく土地なんだと思ってほしいと訴えています。

日本の事だけ言えば、経済的に外国人労働者を必要としている側面があります。日本のバブル期の経済を復活させるためには1000万人規模で外国人の移民を受け入れるべきだという試算があったように記憶しています。あくまでも記憶なんで数字は不確かですが。労働者だけでなく日本に学びに来た留学生達、つまり言語にも長けた優秀な外国人はなおのこと日本に定住できるようサポートすべきだと思っています。彼らは間違いなく彼らの国と我々の国との間のパイプとしていろいろな分野で活躍してくれる事でしょうし、また本人達もよくそのような事を希望する発言をよく耳にします。つまり外国人を受け入れる事は日本側にとってもメリットがある事なはずなわけです。そういった大枠での事情と実際に隣り合わせですむ事になる住民との感情がマッチしてない。状況ですね。仮に外国人がここに住みたいと思っても受け入れ側にその懐がなければこれもまた成立しないわけです。

大局的に見れば。地球自体がそもそも多文化共生社会であるわけで、遅かれ早かれ我々が共生するノウハウを構築していかなければならないのは火を見るより明らかだと思うんです。
つい先日スペイン人でUNESCOの大学で教鞭を執っている方の話を聞きました。その方の話を引用すると、我々の地球は一つで人類は他に存在しない。我々には共生を模索していく以外に選択肢は他に無いんだと強調していました。激しく共感です。

"共生"これは技能だと思うんです。skillです。社会の構成員達がそれぞれ身につけていかなければならない。それを養っていく必要があるんだと思うんです。
そして共生していく事のできる文化を構築する事が何よりも日本が平和を”作っていける”技能"を持った先進国たり得るのでは?と思うわけです。文言じゃなくって実践を持ってね。現時点でそんな能力を持ち合わせた文化はどこにも存在していないわけですから。


随分前置きが長くなりましたが、自分の主張ははっきりすべきだと思うんです。私は家内が外国人ですから日々共生を余儀なくされているわけですが、双方共に第二言語を使ってコミュニケーションをとっています。つまり誤解、聞き違い、思い違いなんてのは当たり前のようにしょっちゅう発生するわけで、放っておくと後に大きなトラブルになります。だからできるだけ必要な事は明確に明瞭にしなければなりません。お互いにいろいろな事を話し合う事は最低限必要な事、日本人の間にある”察してください”という事は実際機能しないんですよね。"言わなくてもわかるでしょ?"は言わなきゃわからないんです。それをしないとどんどんすれ違ってしまう。

韓国人の奥さんを持つ人に聞いた話ですが、日本人の相手を傷つけないように物事を明確にしない言い方は、韓国人にとっては信頼できない人だと写るそうです。はっきり自分の思っている事を言わないから。

各国で教鞭を執っている早稲田の経済学部の教授が、彼がアメリが留学中に授業の討論の才に日本に落とした原爆の事を題材にして話し合い、いろいろ議論が飛び交った後に教授から質問をされたそうです。”林君どうおもう?”って。彼は真珠湾攻撃に至る経緯から始まって当時の世界背景を含めて開戦の理由が一方的な日本の非ではない事、加えて終戦直前の日本の状況を説明し、日本を敗戦に追い込むために二つの原爆投下の必要は全くなかった事。そして後の冷戦時代において核の抑止力を最大限に引き出すためのデモンストレーションとしての投下の意味合いを主張したそうです。結果"we agree to disagree."と言われたそうです。しかし翌日から周りの学生からしっかり一目置かれ他の学生との関係が一段良くなったそうです。自分を持っていない人は軽んじられる社会です。その分しっかりした主張を展開できる人はそれに値する尊厳を受ける社会です。そんな土壌があの国にはあります。

これはあくまでも私の知る限りの凡例で、他の国の人達はまた違った反応をすると思います。だから実際手探りで作り上げて行かなきゃならないと思うんですね。決して相手を傷つけてはいけないと思うし、相手の国を非難するような発言は差し控えるべきです。これは対人関係でも同じ事だと思います。中傷はいけない。でも主張はしっかりすべき。その上でトラブルがあっても途中で投げないでちゃんと解決していく。その個々の蓄積が全体として共生文化を育てていくと思います。遠巻きにしてあーだこーだ言ってたって駄目だし、役所に押しつけたって駄目。できるだけ多くの人ができるだけたくさんの接触の機会を持って生で超えていく物だと思うんです。だから掃除なんですけどね。
共通目標を設置してお互いが目標のために相互に関わっていく。その三角形から生み出されてくる結果をあわせて四辺がそろって初めて丸く行くのかな。と。


自国に対する自負心に関してはまた改めて。