2010年10月19日火曜日

和・日本の文化

この題材で書こうと思ってから随分立つんだけど、どうしても書き出すと多岐にわたって収拾がつかなくなりそうで書き出せずにいた。

加えて数日前に人待ちの際にiphoneで書き始めて、かなり書き殴った後に見事に消えて無くなった。
ま、そんなことはどうでも良いことで。

外国人との共生とか、外国人の定住と移民の増加を積極的に促進すべきだなんて言うと、必ず出会うのが、ここは日本で日本の文化があるそれを犯すなという考え方に衝突する。またグローバリゼイションが語られて久しく、国際社会においての日本の国際性の欠如によって噴出した種々の問題が切っ掛けで日本人の考え方に対する問題に焦点が当てられたときに、世界の常識は日本の非常識なんていわれてね。ところが日本人らしさとか日本の文化という事が絡まってきて、それが日本の美徳だから否定すべきでないというカンターアーギュメントに出くわす。

果たしてそれでは何を持って日本人となすのか。何が日本独特の文化なのか。突き詰めてみると随分いろいろな物が日本の文化でないような気がする。

演歌は日本の文化でしょうか?武士道は日本の精神でしょうか?盆踊りは?歌舞伎は?能は?短歌は?仏教は?神道は?日本語は?

国籍とか民族とかって結構ボーダーラインって曖昧で、むしろそういったアイデンティティって幻想である場合が多かったり。
何処に日本人らしさってのがあるのかなと考えたときに

ふとしたことから"和"だろうか?と感じさせる内容を伺った。

その和が故に自己主張が少ないように見られたり、いろいろな問題で後手に回ったり、はたまた近年の経済発展があったり、環境問題に熱心になったり。ひらがなの創出もやはり和に根源があるのかもしれない。

大和とかいてヤマトとよぶ古称をもつこの国。

しかしながらその和が故にもしかしたら西洋式パワーバランスによって推し進められてきた歴史を変えうるのでは?とも思う。つまり力と対立と闘争の歴史を。

共生という事を実現しようと思うときに、どうしても柔和さというのは重要になってくる。ただそれだけでは共生にはならない。お互いが我慢してるだけ。それだけではいつかは爆発する。(よだんだがこれって良く日本人が起こす現象でもある。)本当に共生していくためには共通する目標、未来が見える必要がある。しかし共通目標を相互に認識する為には、お互いが運命共同体であるという感覚に到達する為には、その切っ掛けとして柔和さがあることが土台を作ってくれるとも思う。懐を深くすることが出来るから。だからその和があるこの国だからこそ、他ではおおよそうまくいったことのない共生が実現しうる可能性を秘めてるのでは無いかとおもっている。

和を土壌にして対話を育て相互信頼と相互協力の花をつけたら"我々は一つである"という実を結ぶかもしれない。