NHK大河ドラマに藤堂高虎を起用してもらう為の陳情
議員職をいただいてから4度目、会全体としては10度目の陳情に伺った。 NHKの大河ドラマに藤堂高虎を起用してもらうためである。 藤堂高虎が、地域の方々の諦めない想いと年を経るごとに参加規模の大きくなる陳情活動によって確実にNHK側にとって意識をせざるを得ないテーマになっている事は間違いない事実だと確信している。 昨年は就任間もなくの籾井会長には予定がわずお会いできなかった。 籾井会長はやはり一般的な藤堂高虎のイメージである7回主君を変えたという話を会話の中に挟まれた。残念ながらこれが今の現実である。あまりにも定着したこの主君を変えた事による忠義心の無い人物という誤ったイメージはなんとか払拭したいものである。 しかし陳情者の一員である今治市のイベント交流推進課の山本課長の発言内容はその固定観念を一蹴するだけの威力を持って行っと思う。 「藤堂高虎は一塊の先鋒隊から実力を持って駆け上がってきた実力者である。新たな役割を与えられるたびにその職務と経験を自らのものとして習得し、それだけでなく携わったそれぞれの仕事において独創的なアイデアでそれまでのやり方を革新してきた知者である。九鬼水軍を我が物とし、その後水城作り、滋賀の山の中で生まれた武将が日本を率いる水軍の長となるのである。課長曰くその後の日本の海軍の基礎を作ったのが高虎である」 神田和泉町自治会 という。 とにかく高虎はその有能さ故に多く妬まれた存在である。また本人は表に出ることを嫌い終始裏方に徹し、様々な噂や言いがかりを表だって否定することをしなかった様である。しかし不忍池の命名の件はそれでも数の少ない反論の中の一つだろう。 家康の命に守られ幕末まで安定した藩運営ができたと言うことはとりもなおさずそれだけで資金も力も有しているということである。 鳥羽伏見の戦いでの苦渋の決断の件によって倒幕後藤堂家は裏切り者の血統だと揶揄されるが、つらい決断を迫られたのは藤堂家だけではない。また前線での戦いを放棄し大阪城を離れた慶喜を、これ以上支えることはできないと考える大名が出るのも無理からぬ事とも思える。 かねてより大きな力を持っており新政府の要求に素直に従わない藤堂家は、薩摩と長州の新政府にとって煙たい存在であったが故に藤堂家の財力と力を様々...