とうとうきたか、マイナンバー

とうとう来たかという感じ。 そりゃ元々自民党も総背番号制なんていって随分以前から話には上がっていた制度、大枠としては。 だから、今回民主党が「社会保障の一体改革」の軸の一つとして(少なくとも私が感じる限りは)復活させてきたこの案件、時間の問題だろうと思っていた。 でもこれ、3紙とってるけど伊勢新聞だけ、載せたのは。たぶん伊勢新聞主催で、このことに関するシンポジウムやってるから、この会社は意識もしてたんだと思う。 全否定はしない。前にも書いたとおり、データーベス検索上共通IDをふることは最低限必要なこと。 にもかかわらず異なるデータベースの間での串刺しが出来なかったがゆえに、いろんな手続きに手間がかかった。もちろん技術的なこと以上に異なる縦割り行政の間のシステムを事実上串刺しすることが出来なかったアナログの障壁もあったんだろうが、それもこの機会に一気に整備をするというわけだろう。 たしかに便利になる。 恩恵は、どれだけ大臣が住民のベネフィットを喧伝しようが、最もそれを受けるのは官僚、行政側。つまりシステムを運用する側。 で、私がいっっっっっっちばん懸念してるのが、これが拡大利用されること。 そしてその可能性が高いこと。 今回の3党合意でどうなったのか分からない。 でも、前回シンポに参加したときの資料を見る限りは、 「より多くのデーターベースでの利用が広がることが、より大きな利得を生む」という主張が書いてあった。 馬鹿の一つ覚えみたいに、相変わらず「スウェーデン型」として社会保障の先進国として祭り上げて。あそこのシステムはとうの昔に破綻しているにもかかわらず。 そして、そのごとく拡大利用された社会に私は7年間住んだ。 そして、自分を保障するはずの「番号」がいったん私を裏切ったとき、それが仮にエラーであったとしても、社会システムは私を信じない。番号を信じる。それを覆すためには、すまりシステムエラーを補正するためには、番号が無かったとき以上に大きな支出をしいられる。金だけで無く、時間と、労力と、精神力と。 つまり場合によっては訴訟を起こして、エラーだと主張する側の理由を明示して、公式に巨大システムに喧嘩を売らなきゃならなくなるのだ。 そして多くの場合にそれが取り返しの付かない傷になることがある。...