君が代のルーツが津市の片田志袋町???


当時の安濃や一志などの地域の事を記した書物。

津のリージョンプラザにある図書館にあるのは、現代になって出版された書物のコピーをあわせたものだった。

津市の教育委員会生涯学習課にたずねたところ、津市の図書館にありますよ!ってな事だったので、今日早速いってみた。
もちろん江戸時代に書かれた原本ではなく、その後活字に直されたもので、こいつなら私にもよめる。

先日たまたま発見したブログの2012年の記事に

君が代のルーツは三重県津市?

ってのがあってびっくり。

ほんまかぁ〜〜〜???
と半信半疑だったものの、このブログにはその出典が書いてあったので、議会の質問が終わって、担当委員会も終わった今、ちょっと調べてみることにした。

このブログかいてあった出典は「勢陽雑記」という。

三重県の歴史年表 > 江戸時代

三重県のページによると津藩士の山中為綱(ためつな)1655年(明暦元)に記したものらしい。


開いてみると安濃の中の片田、志袋 と索引の中にあり、あっさり該当するページを発見する事が出来た。

以下引用
**********
1. 志袋村 津より西 行程一里半。
 古今集の歌に
  君が代は千代に八千代にさざれ石の岩ほとなりて苔のむすまで
 此歌は当村をよめる歌なりと所の者いひ伝へり。里の艮(うしとら)に民家四五宇有る所あり、是を小石(さざれいし)と云ふ今の往還の道に石橋のかかりて、岩間を水の流るる小川有り、此所をいふ。其のあたり田畑の字名を岩尾といふ。又其近辺に苔といふ所あり。是も田地のあさ名也。
 此三か所を読入れたる歌なりと云う。本説に信用しがたき事也。然れ共右の三か所のあざ名自然とこの歌に叶ふべしともおもはれずいぶかし。古は今と替り、志袋といふは枝郷にて小石村本郷にて太神宮へ御厨米をつとめたる例有りと云う。

**********
以上が志袋村に関する記述の全文。
冒頭にリンクを張ったブログには書いてなかったが、
当の山中為綱も

村の人はそうはいっているが、
「本説に信用しがたき事也」
本当かどうかあんまり信用できないけどね。

といっている。

当時は当然、君が代は日本の国歌にはなっておらず、というか国歌というものが制定されていなかった時代。
今では日本人なら誰もが知る歌だが、勢陽雑記が記すようにこの時代には、古今集の中の一句でしかなかった。

ただ、この歌は祝いの歌でとても有名な歌だったという記述も見かけたことがあるので、
比較的知られている歌だったのかも知れない。

それでもこの村の人達は、
おらが村で書かれた歌なんやでぇ〜〜〜!
と信じて疑わなかったんだろう。

君が代そのものは詠み人知らずと伝えられているとおり、誰がよんだか分からない歌。
つまりどこで書かれたかも基本的には分からない。

という事はもう真相は誰にも分からない。

どこかの時点で志袋の人達は有名な歌にあやかって、其の当たりの地名に「さざれいし」や「いわお」や「こけ」という名前を付けたんだろうとおもうが、
時代が巡って「代々ここが発祥の地だと伝えられておる」ということに
なっちゃったのかな。

確かめようのない真相はどうであれ
どうやら地元では今でも其の伝承を知っている年配の方々もおられるみたいだし、
本当に信じていた人達が、長らくこの地に住んでいたんだろうと思うし、
それもまた真実。

そんな”伝承が残る場所”
という事で、片田志袋町は充分凄いところだと思うし、
津市としてはちゃんと認識しておきたいところだな〜
と思う。

調べてみてちょっとすっきりした。^^

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