2015年1月20日火曜日

NHK大河ドラマに藤堂高虎を起用してもらう為の陳情

議員職をいただいてから4度目、会全体としては10度目の陳情に伺った。


NHKの大河ドラマに藤堂高虎を起用してもらうためである。

藤堂高虎が、地域の方々の諦めない想いと年を経るごとに参加規模の大きくなる陳情活動によって確実にNHK側にとって意識をせざるを得ないテーマになっている事は間違いない事実だと確信している。

昨年は就任間もなくの籾井会長には予定がわずお会いできなかった。
籾井会長はやはり一般的な藤堂高虎のイメージである7回主君を変えたという話を会話の中に挟まれた。残念ながらこれが今の現実である。あまりにも定着したこの主君を変えた事による忠義心の無い人物という誤ったイメージはなんとか払拭したいものである。

しかし陳情者の一員である今治市のイベント交流推進課の山本課長の発言内容はその固定観念を一蹴するだけの威力を持って行っと思う。

「藤堂高虎は一塊の先鋒隊から実力を持って駆け上がってきた実力者である。新たな役割を与えられるたびにその職務と経験を自らのものとして習得し、それだけでなく携わったそれぞれの仕事において独創的なアイデアでそれまでのやり方を革新してきた知者である。九鬼水軍を我が物とし、その後水城作り、滋賀の山の中で生まれた武将が日本を率いる水軍の長となるのである。課長曰くその後の日本の海軍の基礎を作ったのが高虎である」
神田和泉町自治会
という。

とにかく高虎はその有能さ故に多く妬まれた存在である。また本人は表に出ることを嫌い終始裏方に徹し、様々な噂や言いがかりを表だって否定することをしなかった様である。しかし不忍池の命名の件はそれでも数の少ない反論の中の一つだろう。

家康の命に守られ幕末まで安定した藩運営ができたと言うことはとりもなおさずそれだけで資金も力も有しているということである。
鳥羽伏見の戦いでの苦渋の決断の件によって倒幕後藤堂家は裏切り者の血統だと揶揄されるが、つらい決断を迫られたのは藤堂家だけではない。また前線での戦いを放棄し大阪城を離れた慶喜を、これ以上支えることはできないと考える大名が出るのも無理からぬ事とも思える。

かねてより大きな力を持っており新政府の要求に素直に従わない藤堂家は、薩摩と長州の新政府にとって煙たい存在であったが故に藤堂家の財力と力を様々な方法で削いで行くと同時に藤堂家ディスカウントキャンペーンを行うのである。

明治維新のおりに行われたディスカウント藤堂戦略の呪縛と汚名からそろそろ我々は解放されねばならないと思う。

神田明神
話が逸れた。
今回市長は昨年から始まったふるさと納税の結果1000万を超える寄付が津城復元のために集められた事を引き合いに、津の住民にとってとても大きな関心事であることを伝えた。昨年に比べれば随分良い。

伊賀の木戸専務だったか、受け入れの体制は万全であるとお話しされた。どうも資料館を準備する計画区があるようである。流石だ。

NHKは「あとは腹をくくるだけだ」と言った。
それに応えられるのは「受け入れの体制は万全である」この一言だけではないのか。

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実務的な話をすると、今年の花燃ゆのあとは真田幸村で決まっている。戦国と幕末を交互に企画するという慣習にこだわるのであれば(私はこだわらんでもええのに、と思うのだが)、今年のいつの時期にか発表される次の大河のテーマは幕末物と言う事になる。我々の狙うべきは次回の陳情、来年の決断だということらしい。

来年はいよいよ

今治、伊賀、甲良、津、プラス神田和泉町の連合軍でそい力をかけて決めに行かなければならない。

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余談
上野の公園は元々藤堂家の管理する領地だった。その中には寒松院という津の寿町にある藤堂家のお墓のあるお寺と同じ名前の寺があり、高虎のお骨もこちらにおさめてある。そして同じく上野公園内にある東照宮は家康の遺言を形にするために高虎が立てた。

中には古い灯籠が沢山立っているが、この中にはもちろん高虎がおさめた灯籠がある。

これは津観音にある灯籠と同じ時期に同じ職人によって作られたものらしく、そこには
「東照宮大権現 伊賀少将藤原朝臣 高虎」
「寛永五戌辰年」
とハッキリ刻まれている。

(という話を今回教えてもらった^^)