2013年7月8日月曜日

クウェートの女傑Mrs. Sara Akbar


クウェートと聞いて我々の世代が思い出すのは湾岸戦争。

イラク軍が撤退間際に火を放ち、放っておけば100年間燃え続けまともに消火活動をしても5年ないしは10年かかるだろうと言われたクウェートの油田。
実際は9ヶ月ほどで全て消火された。

その消火の立役者の一人で、消火団の中の唯一の女性だったSara Akbarという女傑の講演の通訳を今回受けた。

どうやらアラブ諸国では有名な人らしい。

新人技術者から信頼を得るまで:
両親は教養が低かったために子供達には常に教育の大切さをうったえていたらしく、大学の教授や学校の先生の他に彼女と同様エンジニア職に就いている兄弟は5人も居る。

当初から油田の技術者になる事を希望していた彼女は国営の大きな油田開発会社に就職。
技術者になったからには現場に行きたいとうったえたが、他女性は技術者であっても事務職しかつかせてもらえなかったらしい。彼女は現場職を希望したが、クウェートは300万人しか居ない小さな国。女性が油田の現場で働いて仮に事故でも起こって怪我をしたり死亡した場合に、うちの会社は国や社会から「現場に送る男が居なかったのか?」と非難を受けると彼女の要望を拒絶した。
それでもプロになるためには現場での経験と知識が不可欠だと思った彼女は上司に食い下がった。
結果朝の7時から午後の4時までと言う約束で油田に向かうことに。
最初の職場は海上油田。船に乗って数時間。ついたときには午後1時。4時までやって上司に電話して、交代はいつ来るのか?と聞くと、海がしけてるから今いけない。交代が来るまで働いてくれと言う通達。10時になってやっと交代が来たものの、おおしけの海を船で渡ってきた新人技術者。船酔いで嘔吐して仕事にならず、結局次の交代がくる翌日の午前10時まで現場で働くことに。

会社側から出した要求を会社側が初日から守れなかった関係で、以降労働時間のことは一切言われなくなったという。

その後10年間国中の油田の現場で働き熱心な彼女は実力をつけていく。結果何か現場でトラブルがあったときには現場の方から「Saraを送ってくれ」と言われるようになり男女問わず他の誰も追随できない立場と信頼を獲得することとなる。クウェートにおいて初の女性油田技術者の地位を確立する。

侵略:
バーレーンのご主人との結婚を1月前にした90年8月、突如クウェートがイラク軍侵攻で占領されることになる。
3月後バーレーンのフィアンセに電話をかけるために隣の国に向かった。8月の夏の暑いとき、クウェートの多くの人が避暑に国外に出ている際にイラクの侵攻が起こった。その後多くの人達が危険を感じて出国し、全人口の1/3しかクウェートに残っていなかった当時、当然のようにフィアンセは「なんでまだクウェートに居るんだ。早くバーレーンに来い」と言ったらしいが、彼女はこの申し出を断る。
国難の最中私には出来ること、私にしか出来ない事がある。貴方を愛する以上に母国クウェートを愛しているから今出国するわけには行かない。と伝える。

実際15万人ほどが油田及び精製工場で働いたが、イラク軍の侵攻後国内に残ったのはたった50人。
クウェートは油田で精製した油やガスで電気を起こし、海水から飲料水を作っている。また摂氏50度になる夏のクウェートでエアコン無しに生活出来ない。つまり油田が機能しなければ誰も生きていくことすら出来なくなってしまう。

国に残る人達が生き残っていくためにも彼らのために彼女はクウェートに残らなければいけないと考えたようだ。

家事仕事は家政婦に任せて生活の豊かになったクウェートの女性は突然の出来事に対応できないだろうと彼女は思っていたらしいが、現実には食料や水の確保、武器の横流し、イラク軍に対するデモ活動など、路上で見かけるのは女性かイラク軍のいずれかだったという。
実際軍との対立で銃撃を受け亡くなった人の多くは女性だったらしい。

撤退と消火活動:
彼女は「10年間の油田での現場職の経験はこのときのために神に準備されていた」と言った。
サダム率いるイラク軍が油田に火をつけていった話は有名だ。
アラフォーの我々の世代はクウェートと言えば湾岸戦争と共に油田の燃えさかる火と煙の映像を思い出す。高校生の時だったと思う。昼間体育教官室で教員がテレビを見て「とうとう始まった」と言っていた情景を思い出す。

世界各国から消火活動のために人と機材が持ち込まれ、過去に直面したことの無いような消火活動に対して様々なアイデアが出され試みられた。消火の専門家が集まる中数少ないエンジニアだった彼女は現場職で培った経験をフルに活用し消火活動を支援していく。また彼女自身もローカルチームを編成。45日間で42の油田の火を消したといい、最も多く消火活動を行ったチームだったらしい。

そのかいあって5年か10年はかかると言われた700を超える油田の消火をたった9ヶ月で終わらせる。

その事が切っ掛けで政府から多くの職務を受け様々な復興を手がけていくこととなる。特に戦後たった2年間で戦前の油田の生産量を取り戻した事は偉業だったらしい。


起業と創業理念:
ところが国営企業で出来ることの限界を感じ2005年には自分の会社を作ることになる。創業時たった3人で始めた油田と精製の会社は現在800人の従業員を抱える大きな会社に発展し、株式はもちろん上場し業績は上がり続け、現在8ヶ国で事業展開しているという。

彼女は2003年のイラク戦争においてサダムが自国イラクの油田にも火をつけていった際に油田の消火活動を頼まれてチームを編成しているという。その際にもジャーナリストがイラクは貴方の国を侵略した国じゃないか、問われた際に「独裁者には怒りは感じるが、イラクの国民に対して怒りは無い」と答えたらしい。

だから彼女の起こした会社は営業利益を上げるのは当たり前だが、それだけでは不十分だという理念を持っている。地域のコミュニティの利益も生み出し人々の生活に変化をもたらさなければならないという。またイラクだけではなくカタール、エジプト、等の中東の国の他にウクライナやロシアでも油田開発をしており、民間であるからこそ地域活動などを通してそれぞれの国との架け橋となる事が自由に出来るのだという。特にイラクとは経済的関係を強めることでむしろ闘いを起こすことの方が不利益が多いと考えるまでに至ることが出来れば戦争を回避することが出来ると考えている。

所感:
様々な道無き道を開拓してきた女傑であり、その軌跡を見る限りは強靱な女性のように感じられると思うが、実に人当たりのソフトな女性らしい方だった。
つい先日、アベノミクス成長戦略第3弾において「戦略」として掲げられた女性の社会進出。女性ならではの視点が新たな製品を既に幾つか生み出している。彼女たちがより社会進出することで新たな企業理念を生み出し、社会を大きく変革させる可能性を秘めているのかも知れない。

またSara Akbar女史も3年間は子供とのスキンシップを保てるような環境を整備すべきだと言っている。彼女は10年間旦那を待たせたらしい。それでも今でもご主人は彼女のことを愛しているという。結婚適齢期から10年間待ち続けたご主人も凄いと思うが、女性にとって出産を計画することは仕事と家庭のバランスを保つことでとても大切だという。


社会整備を行っていく一端を担うものとして、やはり事業所内保育所を活用して子供と出来るだけ近い距離で仕事を出来る環境を整備することは、子供を犠牲にしない女性の社会進出の在り方として大切では無いかと思う。