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人口、減るのを止めるのは無理なの?

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津市における人口減少の流れは昨今言われる少子高齢化における自然現象で不可避なのか。 平成24年度の調査において 人口減少率全国平均:▲0.22% であるのに対して 津市の減少率:▲0.37% である。 なお平成25年の津市の人口減少率は▲0.42%とさらに大きく人口を減らしている。 津市の人口は徐々に減っているのでは無く減り幅を増やしながら大きく減少している。 ここでコーホート図というグラフを紹介する。 5 年ごとに行われる国勢調査のデータを使う。 5 才ごとに集計された世代別の人口を 5 年後のデータから差し引くことで、5年後にそれぞれの 世代の人口が増えたのか減ったのかを可視化することが出来る。 平成 12 年から 17 年にかけては高校を卒業する 10 代後半から 20 代までがおよそ学業のためなどの目的で多く流出し、その後 30 代になって帰ってくる典型的な U ターン型を示した地方都市のカーブを示している。合わせて 30 代が増える事に関係してその子供達である 10 才以下の就学前児童の数も増えている事を示している。 一方で平成 17 年から 22 年にかけてのグラフは形を大きく変化させおり、全体の人口も 2078 人減らしている。 20 代の流出は 5 年前のグラフに比べて倍近く増加し、 30代 の U ターン組が十分帰って来れていない事を示している。 津市が彼らにとって戻ってくる魅力を失ったという可能性をこのグラフの変化は示唆している。 12 年から 17 年のグラフと 17 年から 22 年のグラフの示すことの違いを対比することによって、現在津市が直面している大きな人口減少の流れは単なる自然現象の結果では無く社会構造の変化を如実に示すものであり、変化に対応できていない行政側の対応の遅れを考えざるをえないのである。 少子化が進むなか人口を増やすことは無理な目標なのか 日本全体の人口が減少を示しているなか、果敢に人口増を目標に掲げ戦略的に生き残り政策に力を入れている自治体がある。千葉県流山市だ。 同市は昭和 51 年から平成 25 年にかけて人口が 2 倍に増え、平成 37 年に向けて 1 万 5 千人ほどこれからも増える目算を立てている。

失われた年間138億円

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「津市の活性化!」「町を元気に!」というキャッチコピーが飛び交ってはいるが、果たして津市は本気で活性化に取り組んでいるのだろうか。「活性化」という言葉の定義が色々あるというのは言葉遊びであり、本論からの逃避である。 地域経済が隆盛する事が最も多くの方々が期待している「活性化」ではないのか。 だとするならば、地域経済の活性、消費の増加は消費者の数が増えることと大きく関係している。 言い換えるなら「客の居ないところに商売は成り立たない」。 そこで津市の人口の推移を見ていただきたい。 津市の人口は長い間 28 万 2000 から 3000 の間を行き来して推移していたのが、平成 20 年を境に急激に数を減少している。 県の調査によると平成 22 年の平均所得が一人当たり 300 万という数字が出ている。ピーク時の平成 20 年からデータのとれている 22 年までの間だけでも 1569 人減っており合計 47 億円 津市から無くなったことになる。同じ数字を平成 25 年まで広げると人口は 4610 人減っており、同様の計算をすると年間 138 億円が津市から失われた計算になる。 (因みに津市の人口のピークは平成11年の28万3952人で、最小の平成25年との差は4973人である。) 4600 人は津市で家を持ち、あるいは家賃を払って生活をし、日々食料を購入し時に娯楽のために消費をしてたわけである。その人たちが居なくなると言う事が地域の経済に直接的な負の影響をもたらすであろう事は火を見るより明らかだ。 市内総生産(GDP)の推移もグラフにしてみたが、同様の時期から右肩下がりである。 課題は如何に消費人口を増やすかである。 続く・・・・・ 出典:三重県 「一人当たり市町民所得」=(雇用者報酬+財産所得+企業所得)÷対象地の人口 http://www.pref.mie.lg.jp/DATABOX/keizai/keizai/H22_sichoubetugaikyou.pdf

クウェートの女傑Mrs. Sara Akbar

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クウェートと聞いて我々の世代が思い出すのは湾岸戦争。 イラク軍が撤退間際に火を放ち、放っておけば100年間燃え続けまともに消火活動をしても5年ないしは10年かかるだろうと言われたクウェートの油田。 実際は9ヶ月ほどで全て消火された。 その消火の立役者の一人で、消火団の中の唯一の女性だったSara Akbarという女傑の講演の通訳を今回受けた。 どうやらアラブ諸国では有名な人らしい。 新人技術者から信頼を得るまで: 両親は教養が低かったために子供達には常に教育の大切さをうったえていたらしく、大学の教授や学校の先生の他に彼女と同様エンジニア職に就いている兄弟は5人も居る。 当初から油田の技術者になる事を希望していた彼女は国営の大きな油田開発会社に就職。 技術者になったからには現場に行きたいとうったえたが、他女性は技術者であっても事務職しかつかせてもらえなかったらしい。彼女は現場職を希望したが、クウェートは300万人しか居ない小さな国。女性が油田の現場で働いて仮に事故でも起こって怪我をしたり死亡した場合に、うちの会社は国や社会から「現場に送る男が居なかったのか?」と非難を受けると彼女の要望を拒絶した。 それでもプロになるためには現場での経験と知識が不可欠だと思った彼女は上司に食い下がった。 結果朝の7時から午後の4時までと言う約束で油田に向かうことに。 最初の職場は海上油田。船に乗って数時間。ついたときには午後1時。4時までやって上司に電話して、交代はいつ来るのか?と聞くと、海がしけてるから今いけない。交代が来るまで働いてくれと言う通達。10時になってやっと交代が来たものの、おおしけの海を船で渡ってきた新人技術者。船酔いで嘔吐して仕事にならず、結局次の交代がくる翌日の午前10時まで現場で働くことに。 会社側から出した要求を会社側が初日から守れなかった関係で、以降労働時間のことは一切言われなくなったという。 その後10年間国中の油田の現場で働き熱心な彼女は実力をつけていく。結果何か現場でトラブルがあったときには現場の方から「Saraを送ってくれ」と言われるようになり男女問わず他の誰も追随できない立場と信頼を獲得することとなる。クウェートにおいて初の女性油田技術者の地位を確立する。 侵

クウェートと移民政策

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とある理由で Sara Akbar という女傑の講演の通訳を引き受けた。 非常に興味深い女性なので彼女のことはまた改めてアップする。 ********************************* 5日に上京して事前の打ち合わせをした女史ご本人と二人の秘書と夕食を共にした。 その際に非常に興味深いクウェートの状況を聞いた。 クウェートは全体で290万人しか居ない小さな国だ。 驚くのは半数以上が外国人移民だと言う事。 wikiによれば人口の構成は以下の通り 住民は、 アラブ人 (クウェート人)が 45% 、アラブ人(クウェート以外の地域)が 35% 、南アジア系( 印僑 )が 9% 、イラン人が 4% 、その他が 7% である。 クウェート以外の人間が人口を占めると聞いて最初に尋ねたのは選挙権だ。 もちろん外国人に選挙権はないと言う。 「当たり前だよ。彼らが選挙権もったら我々は端っこに追いやられちゃうよ」と笑って答えた。 次に聞いたのは社会保障のことだ。 クウェートでは全ての社会保障が無料だという。 学校は大学までタダ。医療も3ドルほど払えば何でも治療してくれる。もちろんガンなどの高額医療も存在するが、3000ドルも出せば何とでもなるらしい。 そして全ての子供に児童手当が付いて150ドルほど支給され、加えて大きくなれば400平米の土地が与えられ。家まで建ててくれる。死ぬときには葬式の一切の費用と墓石まで国が面倒を見てくれるという。 これが可能なのはもちろんクウェートが世界有数の産油国で、国が非常に豊だからだろう。 ただ、この社会保障はクウェートの国民にのみ許されている。 そしてクウェートの国籍を取ることは非常に難しい。 1920年頃にばっさり基準を切って、以降父方の血統が無い限り、ないしは年に2000人だけ、技術や学問や何らかの専門分野でクウェートに貢献した外国人が国籍を取得することが出来る。 非常に狭き門だ。 クウェート人以外の子供達は国営の学校に行って無償の教育を受けることは出来ない。高い学費を払って私学に通わせるしか無い。 と言うかわざわざクウェートで家族と生活をし、子供を私学に通わせることが出来るのは外交官なり仕事の関