井村屋:浅田社長インタビュー:第2回


貴虎:市役所の中の仕事は往々にして決済がついて回ってきて、部長が責任を持たなければならない、順々に上がっていって最終的には副市長や市長が責任をとるという形をとります。誰が責任をとるのかと言う事に常に縛られるので、革新という所に弱さがあるとおもいます。

社長:井村屋グループが理想としているところは繋がり経営と初めから言っています。最初は実はこれをシステム経営と言っていました。私が標語として社長になったときに言ったのですが、ただシステム経営というとわかりにくかった。ITの事かと言われた事も多々ありました。ですから繋がり経営という風に言い方を変えました。部署間の繋がりを良くすることを考えないと上手く行かないと事がたくさんあります。本当に理想としてそれをずっと言い続けていくとしても、理想的な繋がりが出来ているのか、と言えばまだまだだですが、チームとして個を大切にする、システムというのは最終的に落としていくとエレメントになると考えています。エレメントが一つかけても機能しない。エレメントは非常に大切だが、全体の中にあるエレメントと言う事を全体がどう意識するかという事も大切で、そこに対する理解を我々がしておかないといけません。彼の仕事はここに繋がっていて、ここに関連していると言う事をお互いに分かっていると言う経営をしています。
この数年社内ではシステム教育というのを続けています。なかなか概念が実際の行動の中で仕事に生きているかと言う事になると難しいですが、少しずつ他への関連「そこから何所へとんで、自分の仕事にどう影響するのか」という事を考える力、これが少しづつは出てきたのかなと思っています。会社によってはthinkと言う言葉だけを会社の是にしている所もあるぐらいで、考えると言う事はとても重要です。

貴虎:自ら考える。繋がりの中に、自分がやっていることが何所に繋がってどうなっているのか。自分の仕事が如何に大切かと言うことが、自ら理解しなきゃ成らないし、それを知ることによって、責任感も生まれる。仕事に対する自負もうまれてくる。与えられて、貴方がやっていることはこうなんだと言われるのでは無く、自分からつかみ取って理解していくことの重要性ですね。

社長:だからイノベーションが大切です。行政と企業の差があるかも知れませんが、一番変わりにくいのは、総務とか財務。何故変わりにくいか。継続の原則があるからです。これはとても大切で、変わってはいけない物は変わらず残していかなければならない。すなわち人事や財務とか。これらの仕組みを勝手に変えていかれては困ることもあるわけです。しかし過去踏襲が、最大のものだと思っていたのでは変わるべきも変えられない。あるいは安全性を思考するが故に、変われないという側面を管理部門は持っているし、それをエクスキューズにしています。だから不易流行、変えてはけないものは変えてはいけない、守らなければならない物は大事にしていく。しかし時代の変化は起こっています。変えていかなければならない現実があります。井村屋グループ全体の仕事を長くさせて頂いてきて、地域風土の中で助けて頂いて、応援してきて頂きました。そういう所で育ったメンバーが多いので、意外と外を知らない人が居ます。壺中の天というような形で、壺の中から見ている空が自分の空だと思っていたのが、外にでたらもっと大きかったという風な。もっと他企業や他産業と関わりを持てるような仕組みにしていかないとダメだと痛切に感じています。危機感が無くても過ごしていける環境にずっとなってきましたから。きわめて恵まれたことですが、未来永劫そうだと言う事は絶対にありません。今こそ少なくなってきましたが、家が田畑を持っている長男次男、そんなにあくせくしなくてもいい。そんな人はなんでそんなに危機感を感じるの?と思う。給料は欲しいし、待遇もよくしたい。しかしそれほどあくせくしなくても良い、と言うようなところも現実あったような気がします。安住してしまう。
津も貯蓄高が高く持ち家率が高い。つまり安住しています。では何時までそれが続くのか?という事です。

貴虎:CHANGEのTをとるとCHANCEになるというお話し以前津高校で伺いました。Tのタブーをどのように取り払うか。タブーを取り払うためにはエネルギーが居りますよね。

社長:確かに抵抗というか、誰もがそうですが、安住をしていきたい、していたいという気持ちがあるのは事実です。しかし周りが変化をしないということを前提にした安住です。とまっていることは退化です。相対的な問題ですから。周りが変化をしているのにとまっていたら、後ろへ進んでいくことと同じじゃ無いの?と、良く言います。であれば周りの変化に先駆けて自分自身が変化をしていかないと遅れていきますよ。しかし多くの人は挑戦をしたり変革をしたりと言うことに非常に臆病です。心配があったり。だれでもそうだと思います。だからその時にどのような方向の光明がみえるのか、あるいはそこへ向かっていくことが継続性の発揮に繋がると言う事を示さしてあげないと飛び込んでいけない。不安がありますから。一緒になってそっちへ変わっていこうということをリーダーが示さないとなかなか動いてはくれないと思います。

*************次回予告**************

貴虎:ゆでガエルの話を私もよくします。カエルはそれに気が付かない。あまりにもゆっくりだから。変えるべき所と変えなきゃならないところの判断は難しいと思います。守りたい物は何なのか、ぼやっとして不明瞭な事が多いので。昔は中心市街地、大門商店街があって凄く発展していて、周りにも企業があって、各々がちゃんと成果を出していた時代がありました。遡ると江戸時代の末期には船が北から荷物を載せて降りてきて、最後に津で軽い物を乗せる。すなわち書類であったり人であったり。その後鳥羽の先で一旦停止をして天候をまって江戸に行く。松阪や伊勢の行商のオーナー、番頭が東京に出て行く、指示をしてお金が入ってくる。藩の行政人がいて、江戸に要望をたてる。そんな人達が津にいたという事なんだそうです。お金があって、文化があって、華やかさがあった。みなが津に来たかった、舶来者の時計があった、しゃれた物があった町だった。それがおそらく私たちの一世代か二世代前まで残っていたのが、この数十年にあっという急速にそんな位置を追われていった。失われていった。だから津って何所?っていわれたときにフラストレーションを感じているのかと思います。元あった津の華やかかりし時代。東京のような喧噪とした所では無く。そのステータスを変えない、あるいは失ったとしても復古すると言うことを考えると、逆にドラスティックに色々なものを変えていかなければならないのかも知れないと思っています。田畑があって恵まれていて、あくせくしなくても取りあえずやっていける、財政調整基金もたくさんある。そんな津が危機感を持つために、どのような意識変革が必要でしょうか?

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