2012年7月15日日曜日

いじめ問題・雑感

元校長先生という人が言っていた。
もちろん今話題になっていることに関してだが、「ある種必然だ」と。
というのも学校の教員の間でのいじめのが酷いという。
もちろんどこの学校でもと言う事ではないとおもう。というかそうであってほしいとおもう。
また、地域の差や時代の差も有るとおもう。
少なくともこの元校長は定年退職してからいくらかたっている。

ともあれ、周りにいる大人がそんなだから子供がまねて当然だ、と。

彼女の実体験として言われたのは例えば
会議をするさい「校長側の先生にはわざと配布プリントを配らない」とか結構あからさまな対応をするんだとか。
とくに日の丸や国歌斉唱の問題が話題になっていたときの事だったらしく、
 式の準備で国旗を揚げても、次の日になると下げられている。
仕方が無いから交代でよる番をする事に。真夜中をすぎてもう大丈夫だろうとおもって帰宅すると、翌日の朝には必ず下ろされている。
などなど

この校長先生が一部の意思を共有する教員と、他の教員との間、
つまり校長派と反校長派の「闘争」の一部を教えてくれた。


また国連開発機構に従事しニューヨークで仕事をしていたとある方の意見では、もちろんその肩書きがこの件に関する彼の意見において何も信憑性や保証をするものではないのだが、

子供は周りの大人のまねをする。
学校でも職場でも、日本はいじめ社会だ、と。国外でもいじめがないわけではないが、日本のものは陰湿だ、と。

この人曰く、渦中の学校の先生の責任を問うとか、いじめた側の子供がどうとか言う前に、親も含めて、そんな環境を作ってきている日本中の大人すべてが懺悔すべき、だと。

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人は過ちを犯す。
しかしその過ちが今回の事のように取り返しのつかないような状況になる前に、
特に成長の過程にある子供達においては
周りにいる大人が導いてやる必要がある。

元校長曰く
「毎日5時間も6時間も時間を共有している子供達の間の心理状況が解らないはずが無い」と。

現場の教員の責任は今回の場合警察の介入で明らかになるかもしれない。


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はたしてこの私も、正直に言おう
いじめた事も
いじめられた事も
いじめを傍観した事もある。

だから責任がある加害者の一人だ。

なぜいじめが生じる心理になるのか、そしてどうすれば解決が出来るのか。
解らないし、簡単に解るようなら誰も苦労しない。

ただやはり子を持つ親として、子を育てる責任のある大人の一人として
少なくとも他人の心の痛みのわかる子には育ってほしいとおもって育ててきた。
文化や宗教や時代や民族を超えて共通する黄金則というのがいくつかあるが
その中の一つに
「自分のされて嫌な事は他人にはしない」
というのがある。
これは子供達がけんかするときに必ず言ってきた。

あと100%で来ているとはとても言えないが、
相手に思いをはせる事を出来るだけ実践しようと努力している。


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家庭は社会の縮図だ。

子供は家庭で学んだ事を社会に出てそのごとく行う。

いくら口で言い聞かせても
模範である親の行動がそれに伴っていなければ子供は学ばない。

家内が大変なときには私も手伝う。
子供は大きくなってきているので一緒に手伝わせる。
「ままが大変だからね」と理由を解るように言って。
ままがそれを見て喜べば子供はそれを実感する。

相手の心が解れば、痛みも解る。

私は「自分の好きな事をしなさい」という教育が好きじゃない。
自分の好きな事だけをして生きていける世の中ではないからだ。世の中そんなに甘くない。
自分の好きな事を実践していく上においても、好まない事もこなして初めてそれが可能になるとおもう。
ましてや辛い訓練無くして何の技術も知識も向上することはなく、努力無くして達成できる成果など存在しない。

好きな事だけをすればいいという考えは、ときにその好きな事のために生まれうる周りの犠牲を顧みない可能性をはらんでいる。

自分の欲求と
それを実行したときに
1対1であろうが1対複数であろうが
誰かが嫌な思いをするとき、誰かが不利益を被るとき、誰かが痛みを感じるとき
自分のわがままでそれを押し通すのか、それとも自制するのか。
そのことが意識できて、そのうえで判断できる「技能」を習得する必要がある。

人は集団で生活する事を前提として生きている生物だ。
だから自分と他人、自分と社会、
そんな認識を育てない限り成熟した大人にはなれない。

そんな自分と他人とのバランスが養われれば今回のような問題はずいぶん減らせるのでは無いかとおもう。

人格形成の要は間違いなく親であり、特に母の影響は大きい。

親は子を産み新たな命を自分の後にこの世に残していく以上、その子たちを世に送り出す意味において社会に対して責任をおっているという認識をする必要がある。
単に自分が欲しくて作った自分の子供というだけではなく。

わたしは「自分が生きた事でどんなプラスが残せたのか」
そんな意識で子供には生活をしてほしいと願っている。
そして私はそれを見せる事で教えていかなければならない役目を背負っているとおもっている。