阿漕平治の話・安濃津ガイド主催
教育文化会館にて安濃津ガイド会とときめき高虎会の主催するイベントに参加してきた。
阿漕なヤツ
と使われる
この阿漕の語源は即ち我らが津市の阿漕浦の阿漕に他ならない。
あこぎ
という言葉は
際限なくむさぼること。あつかましいさま。
と辞書に表現されている。
決してよいことを表したことではない事は確かだ。
別の辞書によると江戸時代には
「物をむさぼる」「図々しい」「あつかましい」
という意味合いで使われていたらしい。
阿漕平治の話は平安時代の歌集「古今和歌六帖」にも記されているんだとかで古いお話し。
津市のページによると元の和歌には平治の名前は無く、どうやら江戸時代に入ってから「お話し」が作られて孝行息子の話になって有名になったんだとか。
今我々が聞く阿漕平治の話はおおむねこんな感じ。
不法と知りながら繰り返し法を犯す。
これを私欲のために行うから、図々しく厚かましくむさぼりに繋がる「あこぎ」になるんだろうね。
安濃津ガイド会としてはここに平治の孝行息子としての逸話を重ねて
私欲ではなく、「母のために仕方なしに」という部分を加えて
悲哀の「阿漕」という意味に繋げたいんだそうだ。
生きている言葉の解釈を変えるのはあまり現実的ではないかな〜とも思うが。
いずれにせよ
伊勢神宮に奉納するための魚を捕る場所として
禁漁区に指定された阿漕浦。
逆に言えばそれだけ好漁地だったと言うことらしい。
そこを生計の糧としていた人達にとっては当然死活問題。
おそらくは一人の伝説の人「阿漕平治」ではなく
生活に苦しんでか、反体制思想の結果か、あるいは本気で母や家族のためにか、様々な理由があったんだろうが
数多くの猟師がここで夜な夜な密漁を行っては、何人もの猟師が簀巻きにされて殺されたんだろう。
阿漕平治をまつる上宮司のご住職の話だと、実際供養が行われ始めたのは「かの事件」が起こってから随分立ってからのことで、実際元の話も忘れかけられてきてからのことだとか。
たった一人の孝行息子の忘れるに忘れられない数奇な話なら間もなくして供養されてたんじゃないかなと思う。
ともあれ
あこぎ
の語源として全国に知られるの津の阿漕浦
無人の「JR阿漕駅」だけじゃちょっと寂しいかもね。
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