伊賀で甲冑着てきた

今朝の新聞にも載ってたけど、伊賀城で高虎サミットが行われた。

土曜日は式典
日曜日はイベント
ってな感じの構成。

藤堂高虎に由来のある
津、甲良町、今治市と伊賀市の持ち回りで開催しているこのサミット。今年は築城400年を迎える伊賀市のたっての願いで繰り上げて開催をした。(はず・・)

ここの伊賀城、敷地も広いし施設も色々ある。
なんと言っても天守閣が存在する。

しかしこの天守。当然400年前の物ではない。
実際ここの城に天守はまともに建ってないみたい。高虎が来て立てたんだけど、これ建築途中に台風で崩れてるらしい。

それいらい存在しなかったんだけど、なんと地元の名士川崎克しが「私財を投じて」建てちゃった代物。
よくお金があったのね、昔の国家議員は
とか
当時は指定史跡の保存だとかややこしい話は存在しなかったんだろうね
とか
底地は公共の物なんだろうにその上にこんな物建てちゃって、所在は何処に帰属するの?
とか
修繕は何処がやるんだろう
とか
色々驚くところがあるわけで、今のご時世同じ事が出来るような人も場所も無いでしょう。

でも、それが史実に基づいていようがいまいが、人が集まる中心になっていることは確実。
それに建ってから100年近くも建っちゃうとそれだけで既に文化財的な気もする。何にしてもやっちゃったモンがち的なにおいがするわけです。
しかもだ、天守最上階の天井には川崎克氏の「お友達」からお祝いの書とかが届いててこれを飾ってあって、中には横山大観なんて大物の作品もあったりとか。
それ文化財でしょってな事なんですよね。

長い年月愛されればそれは守られて財産になる。それだけの事で元々曖昧な価値観。四角四面に「近代的建造物は指定史跡には建てられません」っていう生涯学習課の返答にはやっぱり納得いかないんですね。

川崎氏が建てちゃった「史実に基づいていない偽物の天守閣」には入場料が必要で、そのチケットにはちゃんと伊賀城の歴史が書いてある。
元々お寺があって信長に焼かれて
筒井氏が城を建てたけどこれも焼けた
その後藤堂が領主になって、対大坂豊臣のために西向きに高い石垣を作って、こいつは日本一。
城下町は武装した軍備の町になった
云々
という事が書いてある。

ここに訪れた人間にはほぼ100%「手渡される」
資料になる。

こんな事の積み重ねが
城の歴史や町の歴史の周知に繋がり
しいては「日本一」の存在する誇りの城
に変わっていくわけでしょ。

それに比べて今の津城はどうよ?え?

仮に巨額の費用をかけて
「史実に基づいた木造の櫓の復元」を行ったとしても
現在の建築基準に合わない関係で「中に入れない」もの作って
”何の歴史資料になるんだ?”

どうせやるなら
人が集まって
町が起こせる
シンボルを作りましょうよ。

コメント

  1. 貴虎さん、めっちゃ似合ってる。
    でも、やっぱり高虎の甲冑を着て欲しいね。

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  2. ありがとー
    作りますよそのうち「高虎」仕様のやつ。

    返信削除

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