第二次定例回修了・釈然としない最終日の採決

某議員が当初より行っていた発言。
65号補正予算案は教育から建設、観光、防災などなど100近くの事業をひとまとめにした議案である。

 事業の中には全く異論のない物もあれば、事業の趣旨に疑問があったり、付けられた予算の額に疑問がある物も事実存在する。

それを全てひとまとめで賛成か反対か意思表示をしなきゃならない。

同議員は異なった事業に関して分けた議案として提出すべきだと市長に問うた。
市長の答弁は「非常にユニークな提案だが、このように予算案を提出するのが通例であってこの如く審議いただきたい。異論があるのであれば修正案を提出いただく方法もございます」との事。

この修正案を提出することは容易なことではない。首長一人以下36人の議員が市長の提出した予算案に反対するという意志を共有した上で執行部が作ってきた案とは違う物を自ら作成しなければならない。
不可能ではない物の過去の津ではどうも一度も行われたことがないらしい。

阿久根市であったり名古屋市であったりよっぽど特異なケースで党派や会派を超えて市長と議会が対立でもしない限りこのような全面対決は普通無い。

言うなればどんな予算を出してこようが、よっぽどひどい物でない限り何でも通ってしまうのである。
それを知っててこのような予算案を出してくることが”横着だ”と主張した議員の言わんとしてることは良く理解できた。はなから議論してもらうつもりが無いんだろう、と。

しかし予算案の提出の仕方に関しては取り立てて地方自治法には明記されていないらしい。慣習を基礎に物事が動いている。条例を作って明記することも可能だそうだが、色々ハードルがあるらしい。

しかし少なくとも同議員が本会議で市長に質問したところで解決にはならない、らしい。
この議員は、全ての事業に賛成しているわけではないのに口も目も閉じて盲目的に承認をしろと言ってるのか?と市長に詰め寄ったが明確な回答はなかった。

そんな経緯があって、最終日の採決の際に同議員は再度この問題を持ち出して、棄権すると主張した。

私は立って賛成するか座って反対するか二つに一つを選ばなければならなかった。
釈然としない思いの中、立たざるを得なかった。
進めていくべき事業もある中で、決定的に反対しなければならない事業がそこには無かったからだ。せいぜい、ちょっとな〜と思う程度。

釈然としない。

コメント

  1. とてもリアルに現状を感じられるブログでいつも勉強になります。
    前記事とも共通の感想ですが、何か…慣習・慣例の中でもっとよくなれるかもしれないのに動けない・・・のようなもどかしさがあるのかなぁと感じました。
    前記事のや

    の部分ではその場面を想像するだけでストレスを感じました。
    それはまさにこそが市民がの期待する『議論』だと感じたからです。市民の中にもたくさん考えがあり全てではないのはもちろんですが、そのような本当の議論がもっと多く行われれば我々市民も興味・関心を持つことができ、より真剣に多くの人が津のことを考えられると思います。また反対に、貴虎さん以上に議会のことについて知らないような市民は、前記事やこの記事のように意味の理解が難しい議会に対して「えっ・・・何やってるの?」「時間の無駄とちがうの?」「ちゃんと仕事してよ」って感じます。言葉がよくないですが、そう感じます。
    今回の市長の答弁からも、何かそれに似た不快を感じます。

    多くの制約の中で難しいことがあるかと思いますが、少しでも多くの市民が興味をもって考えられるようになるような本当の議論がたくさんなされることが楽しみです。
    稚拙な感想失礼しました。

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  2. 個別の事業に関してしっかり理解した上でその必要性を考慮して審議したい。と私は思います。

    しかしこれを実際やろうと思うとかなりの時間がかかることは私でも分かります。

    例えば65号議案(修正予算案)の中に100の事業が含まれていると言いました。その中で道路の建設案が7つ程ありました。

    本会議が延長した関係でこの案件を審議する建設水道委員会に出席する前日が本来会議の予定がなかったのにもかかわらず本会議の時間に費やされてしまったために事前聞き取りがほんの僅かにしかできませんでした。
    関連部署の課長から、最低限何処の道を作ろうとしているのか?と言うことだけ何とか聞くことが出来た。説明を求めれば彼らは地図を持ってきてくれます。
    これにはおよそ30分から1時間弱かかりました。

    ところが当の委員会ではこの部分の説明は全体の一部で、地図は着いていた物の各々で見てくれ的な感じ。事前に聞き取りをしていた私は理解できましたが、仮に参加議員の中でその時間を持たなかった方達は、果たして何処にどれだけの道を作るつもりなのか理解できたかも疑わしい。それでも手放しで賛同する。上述の某議員が述べた”盲目的承認”に他ならない。
    そしてその盲目的承認を行う議員に限って、”長々”と事務局が説明することを嫌う傾向がある。つまり時間がかかるからだ。専門分野だから良く解らない。どうせ決まっていくんだから早くすませろ、と。という意志が何となく感じられるのです。

    100近くの事業で作られた予算案のたった一部だけでも、一つ一つていねいに審議をするためには、議員自身も相当勉強していて事情を把握していないと出来ない。

    逆に素人にがちゃがちゃ引っかき回されたくないから出来るだけ音便にややこしいところには余り触れずに、スムーズにすませたいという執行部側の意志も想像することはそれほど難しくない。

    そして余り引っかき回さないから”俺の頼み事をお前ら聞けよ”という議員も居るんだろう。
    地元票稼ぎのために、いわば建設水道関係は最も議員にとって上手く言うことを利かせたい部署なんだと思う。これまでもそうしてきたんだろう。私も議員だからその気持ちは良く解る。

    しかしこの思想は、市内にも存在する無意味に広い道、郡部のやたら豪華な庁舎を乱立させてきた。全体とのバランスを見失ったときにこれは明らかに弊害になる。

    とにかく今私自信が私に欠けていると思う物は知識。新しい道路の建設だけを取っても計画として上がっている物だけでも膨大な数が存在する。無駄な事業はしていないだろうと思う。そこはもちろん執行部に対する信頼も持たなければならない。
    みんながみんな無駄な事業をしているという色眼鏡で見てしまってはちゃんと仕事を使用としている職員にとっては中傷に他ならないから。

    言ってみたら砂漠の中からダイヤを一粒探し出すような作業をしなければならないのかも知れない。
    そして結論は決して石ころとダイヤを分けるほどの明確な賛否を出せる物である事の方が大多数だと思う。

    ともあれ時間を浪費しないで、克つ必要な議論を適切に行える為にもまだまだ多くを吸収しないといけないと思っています。

    少なくとも不信任動議を出さなくても良いような建設的な議論を行うためには。

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