2011年2月24日木曜日

縁は異なもの味なもの、アナログ/デジタル、出会い

PC歴
私は結構デジタル機器に依存度の高い人間だと思っている。私のファーストコンタクトは中学の時に父親に買ってもらったカシオのMSX。MS-BASICがインストールされててロムを入れずに立ち上げると確かBASICがいきなり立ち上がったはずだ。3音同時出力が出来るビープ音で君が代を演奏させて、画面に白四角と赤丸を数値でドローして当時いくつだったろう?70代ぐらいだったはずの祖父に見せた記憶がある。チープな音源で祖父が喜んだとはとても思えないが、そんなことをして遊んでた。

その後NEC-PC88を買ってもらって、次ぎに98。DTMの走りで今考えればおもちゃみたいなソフトだったが、ドラムパートとベースパートを打ち込みして外付けのMIDI音源を経由してラジカセから出力して、下手なギターで氷室京介と布袋寅泰のいたバンド、ボーイの曲をよく練習した。決して上手くはならなかったけどね。

その後大学に入ってからMacに転向、以来ずっとmacユーザーだ。

過度なデジタル依存
小さいときからせっかちで、父方の祖母曰く、”だだくさ”な人間で、字がとてつもなくヘタ。今でも小学生低学年みたいな字しか書けない。
そんなこともあって、手紙の宛名を書くのでもレイアウト設定済みのデータベースから出力する。娘の幼稚園の入学願書に書く備考欄も、わざわざ印字部を定規で測ってイラストレーターで位置あわせをしてプリンタで出力する始末。芳名帳や役所での書類手続きは大の苦手。キーボードがないと漢字も出てこないぐらい馬鹿だ。

そのおかげか逆にタイプは早く思考とほぼ同じスピードで入力できるから、文章を書くときにペンと紙を使ったのははるか過去の遠い話。タイプしないと文章が思いつかない。

大学は電子情報工学科を選考、プログラムを学んで、今に至る。内の会社のページもPHPをベースにjavascriptとSQLを使って自作で立ち上げた。今はファイルメーカーを使ってるけど。デジタルの利便性をよく理解してるのでいろいろな事務処理は可能な限り全てデジタル処理すべきだと思ってる。データーベースは個人の処理能力を爆発的に拡大すると確信してる。

えらい前置きが長くなった。

だからこそアナログ
デジタルの利便性をよく理解しているが故にその限界も良く解る。だから一層アナログの重要さを感じることが多々ある。生の音楽は録音されたCDとは比べものにならない。
一度モンゴル系の人が馬頭琴一本で馬の競走を表したという演奏を聞く機会があった。二本の弦と弓。拡声器を少し通しただけのたった一人の生演奏。しかし会場全体がそのリズムに魅了され、私は草原を馬が走る情景を奏者の周りに見た。あのときの衝撃を文字にするのはすごく難しい。心臓が躍った。

そして人との出会いだ。
つい先日”自民の重鎮、中川秀直先生とおあいした” というタイトルの投稿をした。これもまさにアナログの重要さを感じさせられた出来事の一つだ。やはり人は会って話をしないと分からない。もちろん会っただけで全てが分かるわけではない。ただ、会って得る情報量は読んだり聞いたりするだけの情報に比べて格段に多く、その人を”感じる”ことはやはり会わずしては出来ない。

デジタルのコミュニケーションはこれを大きく補完する。家内の国は遠く離れているので容易に会うことは出来ないがskypeからは計り知れない恩恵を受けている。
よく家を数日間空けることがあるが、そんな時でもビデオチャットで子供の顔と家内の顔が見れるとうれしい。技術の革新はすばらしい。

SNSを通して新しい人と出会うこともあった。デジタル経由でも新しい出会いがある。そしてその後、生で会うというパターンもすごく有益な方法だと思う。決して出会い系の話をしているわけではないことは誤解しないでいただきたいが。似たような意識を持つ人が繋がっていくtwitter。そしてそこでの出会いが新しい物を生み出すことは今更語る必要もなく、要は人と人が出会うこと、交流を持つこと、それ自体がエネルギーであって、無を有にする作業だと思うのだ。数が増えれば規模が大きくなり生み出されるエネルギーは莫大になる。何を基軸に集まるかはもちろん重要で、建設的で生産的な意識でどんどん集いたい物だと思っている。ネットは人の意識を増幅するエンハンサーだと思う。

such a small world
昨日上京中に在京の友人に電話、突然翌日会うことに。時事通信社の13回でラグビー関係の会合があるから来る?なんて言われて。
で、昨日行った。ラグビーの話なんてするのは高校の時以来だ。部室がくさい、サッカー部によくコートを取られたとか、そんな些細な話でものすごく距離が短くなる。皆初対面なのに。中にはラグビー界のとんでもないお偉方も居られたのだが、高校3年間弱小チームでお遊びをした程度の私には良く解らなかったのだが、どうもとんでもなく偉い方のようだ。
で、その中に一人だけ英国人がいた。年配の方で、でもゴールデン・オールディーズだったかな?って形で今でも楽しくラグビーをプレーしてるらしい。
で、その人。一次会が終わって次の場所に移動する際に路上で話をした。
で、どういう繋がりでここに来たの?当然の質問だ。なにせ参加者の7割近くが時事通信社の人なのだから。
”いや、昨日たまたま知り合いに電話をかけたら今晩の会の事を知らされて、彼自身私がラグビー部だったなんて事はしらなくって、とりあえずここであって後でまたどっか行くか程度のつもりだった。普段は三重の津にいるんだけど、家内がモルドバ共和国ってヨーロッパの小国出身で、彼は学生の時にルーマニア留学してたことがあってそれで知り合ったんです。モルドバなんて国知らないでしょ?”
っていったら、いや。モルドバ知ってるよ。実は私の家内の兄弟(兄だったか弟だったか) がモルドバ人と結婚してね。

え?!マジで?
みたいな。

そこで話は終わらない。
家内の実家は三重県の津市って所でねって言うじゃない。
おいおい、俺津だよ!

ホント?

って、津に住んでるモルドバ人って二人しかいないよ!

って事で名前が出て、かみさんの友達だって事が判明した。ってか他にあり得ない。ってかこんな事普通あり得ない。確立統計は苦手なんで良く解らんが宝くじ当てるより希なんじゃねーか?っつぐらいの偶然。

そして内の家内ともう一人のモルドバ人はモルドバでも実はご近所さんで、家内の実家から2つか3つぐらい通りを上っていったところにある家の人で、家内の姉と同級だったとか。

なんだろ〜ね〜。

だから人とは会わなきゃいけないな。ってまた再認識した次第なんです。