和・神道

幾らか前に古神道の神主さんとご一緒させていただいて色々お話しを聞かせていただいた機会があった。

明治時代に神道を国家宗教にしようとした人たちが仏教やキリスト教のように神道を体系化して聖典を作って”整えよう”とした試みがあったそうで、各地の信仰を集約して調査してみたら、あまりにも多種多様で結局の所一つの書物にまとめることが出来なかったのだそうだ。
だから神道には日本の神道全てをまとめることの出来る聖典が存在しない。とのこと。

それから我々が今よく目にする神道の体系は随分仏教からの影響を受けて変化をした物のようらしい。もちろん古神道の方から聞いた話だから余計にそう強調されたのかもしれないが相互に色々影響を与えてきてできあがったのが今の神道や日本仏教なんだそうだ。

ちなみに先祖崇拝はそもそも神道の考え方で仏教の考え方ではないそうだ。
あと神社という代物は仏教の影響を受けた物らしい。その方曰く神道の神様はそもそもどこか一所に留まっている物ではないらしい。神社の中に神様の居られるところがあってそこに向かって拝むのを鎮座式というのだそうだ。つまりその建物の一角に鎮座しておられるわけだ。
ところが地鎮祭を考えてみて欲しい。地を清める作業として信じようが信じまいが何か建物を建てるとなると大凡何処でもやるような風習になっている行事だけども。あれは地を清める神様に天から降りてきてもらって、地を清めてもらった上で、天にかえってもらうんだそうだ。同様に古い神道の儀式は行く所々で神様をおろして、なんだかんだ意図する儀式をやって、つまり雨乞いだったり豊作祈願だったりするんだろうか、でかえってもらう。これらは建物の中に鎮座していない、天にいて降りてきてもらう神道の元々本来ある神様の姿なんだそうだ。

で、それだけ色々仏教や道教なんかの影響を受けた神道の文化の中で、また種々あって一つにまとめることが出来なかったという神道考え方の、そもそも皆に共通して克つ外来の物からの影響を完全に排除した、中核、神髄は何ですか?と尋ねたところ、

だと答えられた。
自然との共生、和、が神道の根幹なんだそうだ。


西洋では、自然とは人が管理しコントロールする物で自然災害や他自然との関わりで出てくる問題は人間が知恵を絞って最終的に”乗り越え、解決していく”物であるのに対し、日本人にとって自然とは共に生きていく物、各々折り合いをつけて、和していく物なんだとか。

言われるとよくわかる。日本の土着の宗教であるが故に、価値観や考え方を含めて日本人を形成してきた文化の基礎に位置するのが神道な訳で、いやおう無しに我々の価値観の中に植え付けられて我々の考え方に深く影響を与えていると思うのだが、その神道の中核にあるのが自然との調和なんだそうだ。

だから神主先生曰く日本人こそが環境問題の先頭を切っていかなければならない問題なんだとおっしゃってた。

多文化で無くって自然との”共生”なんでここの趣旨とは微妙にずれるんだけど、ちょっと思うところあって書き留めてみた。

初めから和をなそうとしていない相手と和を作ることは不可能なんじゃないか?と思わなくもないんだけど、いずれにせよ我々自身の思考回路の癖を知るためには有用な情報の一つではあると思った。
また自己のアイデンティティーとして我々日本人がが誇るべき物は本来なんなのか、と自問したときにやっぱり和を尊ぶ文化なのかな?とも思うわけ。

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